投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月22日(土)07時00分15秒 編集済
●抜歯の痛みもぶっとんだ!?

 地区婦人部長 大山恵子さん

地区の先輩に「池田先生が出席されるかもしれない
会合なのよ。一緒に行きましょう」って言われた
とき、最初はなかなか行く気になれなかった。
ちょうど前日に歯を抜いて、その傷跡が痛んで
しょうがなかったの。でも先輩があまりに熱心に
誘うんで、痛みをこらえながら出かけていったのよ。

昭和57年の7月17日、創価高校で行なわれた
北多摩圏の総会でした。会合が終わって帰るとき、
小雨が降っているにもかかわらず、グランドに人垣が
できている。もうじき先生がここを通られるって
いうんで、みんな待っているんです。私もせっかく
だから池田先生を見てみたいと思って人垣に加わったの。

しばらく待っていると、池田先生が通りかかって、
集まっている人に向かってにこやかに会釈をした。
そして「風邪をひいてはいけないから、早く帰りなさい」
って声をかけてくれたんです。

池田先生との初めての出会いはたったそれだけでしたが、
なんて言うのか、すごいエネルギーを感じたの。
自分の生命が躍動するような気持ち。胸の奥底から熱い
ものが込み上げてきて、歯が痛いのなんてどこかに
ぶっとんじゃったわ。

それからは、池田先生のスピーチが元気の素。衛星放送の
ときは真っ先に会館に駆けつけ、いちばん前で見るんです。

●渡世人の哲学        自営業 古川義朗さん

人生なんて、ほんとわかりゃしねえ。俺は旧制中学のときに
グレたために、学校を中退してな。ブラブラしているように
見えたのか、17歳で赤紙(召集礼状)が来ちゃったんだよ。

いくらなんだってひどいだろう。それで予科連に入って1日目に
逃走したんだよ。それからはよ、なにも悪いことなんかして
いないのに“おたずね者”さ。捕まれば処罰される、だから
いろんな所に逃げ隠れてさ、それで渡世人の世界に
入っちまったんだ。

さんざん逃げてよ、だけど戦争が終われば、時代はコロッと
変わっちゃった。だから俺は信心だろうが、学会だろうが、
とにかく誰も信用出来ない、そう思っていたんだよ。

でもよ、その頃の学会人ってのはしつこくてさ。それで「入る」
と言ってしまえば、うるさい奴らから解放されるだろうぐらいの
気持ちで入会したんだよ。昭和30年の頃だよ。だから、まあ
のらりくらりと信心をしてたんだ。短いローソクを仏壇に飾って、
適当に勤行をやっているふりなんかしてさ。

たまに学会の人が「信心して、いいことありましたか?」といって
訪ねてくるんだけど、「ボチボチやってんだけど、たいしたこと
ないじゃないか」なんてケチをつけてやったんだよ。だけどな、
ちゃんと信心している人には不思議と見抜かれちゃうんだ。

相手はよう、ニコッと笑って「古川さん、頑張ってやってたら
変わってますよ。やらないから変わらないんですよ」と言いやがる。
これには参ったね。 俺は昔、ある新興宗教団体から金を借りて
バクチを打ってたこともあったんだよ。

「儲けて返すからよ」なんて言うと、信者のご供養を貸して
くれちゃうんだよな。腰抜けの幹部がさ。宗教なんてそんなものさ。
だから創価学会とかいったって、たいして変わりないだろうと、
俺はタカをくくっていたんだ。だけど、ちょっと違うんだよ。
創価学会の人にはごまかしが来かねえんだ(笑)。

俺も渡世人からやっとのことで足を洗って、メッキ職人になった
だろう。けど、いい年して中学を卒業した小僧と同じ給料しか
もらえねえんだよ。そんな苦汁はイヤというほど味わってきたから、
とにかく実力をつけるしか生きてはいけねえと必死だったよ。
そんななかで、そりゃ信心は面倒臭いよ。でもな、こんな俺の

人生がほんとうに切り開けるのならと、少しずつだけど勤行も
始めてみたんだ。 頭から信じてやるわけじゃないよ。だけど
やってみるしかないじゃねえか。だから言われた通りに折伏にも
励んだよ。友だちといったって、俺の仲間の多くはバクチを打って
いるだろう。だから賭博場にも折伏に出かけたよ。

俺が行くと、やっこさん、渋い顔をしてな。「古川、その話なら
今度にしてくれよ」なんて言うんだよ。だけど不思議なんだ、
この信心って。頑張ってやるだろう、ちゃんと結果が出るんだよ。
それで、やめられなくなっちまってよ。

渡世人の世界なんていうのは、景気のいいときはみんな「兄貴」、
「兄貴」なんて言ってペコペコするんだけど、地に落ちたときは
そりゃ冷たい世界だ。だけど学会はどんなことがあっても、
温かい庶民の世界なんだ。その先頭を切って走っているのがさ、
池田名誉会長だよ。

俺は池田名誉会長と同じ年なんだけど、池田先生というのは凄い
男だよね。戸田先生が亡くなってから、昭和35年に池田名誉会長が
32歳の若さで第3代の会長になるんだ。俺はさ、正直言って池田
先生というのは、いい度胸をした男なのか、それとも何も知らない
奴なのか、そんなふうに思ってたんだよ。

でも会長推戴式に参加して、あらためて肝の座った男だとびっくり
したよ。若武者のようだった。俺は後で知ったんだけど、大阪事件の
ときには無実の罪なのに、刑務所にも入ったっていうじゃないか。
俺も昔は警察に厄介になったけど、警察を敵に回して闘うなんて
並大抵のことじゃないよ。学会員を守るために身を盾にして闘って
きた。それが学会の代々の会長なんだよ。