投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月21日(金)21時16分45秒 編集済
●「折伏に来たのではありません」  副会長(1995年当時) 原田 稔さん

1974年、中国を訪問したときの池田先生にはほんとうに驚きました。
72年に日中国交が回復し、創価学会としては初めての中国訪問だったんですよ。
それで同行させてもらう僕たちは、中国で問題を起こしてはならないとピリピリ
してね。準備室を作って、いろいろ資料を集め勉強を始めたんです。

例えば、中国では「支那」とは言ってはいけない、ソ連の話は絶対タブー
だとか・・・。とにかく失敗をしないようにと、頭に知識を詰め込もうと
していたんです。

ところが、そんなにわか仕込みの勉強をしているところを池田先生に見つかって
しまったんです。「何をしているのか?」と訊かれた僕たちは、「中国に
行かせていただくので勉強を・・・・・」と大真面目で答えた。すると先生は
「バカなことをするな。資料はぜんぶしまいなさい。変な先入観なんていらない。

そんなもの、持っていってもしょうがない」と叱られたんです。
そんな経緯のなかで中国を訪問しただけに、中国での先生の振舞いには
面食らいました。中国友好協会の寥承志さん(故人)にお会いしたときです。
池田先生は開口一番、何と言ったと思います?

「私は、折伏に来たのではありません。」と、にこやかに挨拶されたんですよ。
「お国は、今、毛沢東思想で建国しているんですから、それで頑張って
ください。で、もしも、あなたの国がこれから二千年、三千年、一万年と
たつうちに、毛沢東思想では厳しくなったときには、遠慮なく創価学会に
SOSを出してください。そのときには、私たちは喜んで応援にまいりましょう。

一千年先でも、一万年先でもけっこうです」
ちょっと想像できないでしょう。日本人だって、創価学会といえば、折伏される
んじゃないかと警戒しているわけですよ。中国の人たちもそれは同じなんだよって
言われてね。僕なんか、勉強して外見だけ繕おうとしていたことが恥かしかった
ですね。

●チョコレートの贈り物

(「人間の中へ」の著者) 吉村元佑さん

池田先生がかつて東北を訪れたときのことです。先生の乗った汽車が一関という
駅に途中停車するとことを聞きつけた数人の高校生たちが、ひとめ先生に
会いたいと駆けつけたんです。先生が乗った汽車が到着する。息を切らせながら
高校生たちがホームへ駆けつける。

ほんのわずかな停車時間の、それも窓越しの出会いでした。当然、言葉を交わす
余裕などありません。しかし、その汽車が目的地の仙台に着いたときに、
高校生1人ひとりに、池田先生から和歌と激励の品々が届いたんです。しかも、
その和歌のなかには、ホームに駆けつけたそれぞれの姿がしたためられて
いたんです。

「Yシャツも まばゆく見えて 君達の 未来の栄光涙して待つ」とね。
池田先生は汽車が駅を離れるや、すぐさま車中で和歌を詠まれて「今の青年たちに
手渡してほしい」と、そばにいた幹部に話したそうです。

先生はそこまで一人ひとりの学会員を大切にする。一瞬の出会いのなかで相手の
心を揺り動かす。それには並々ならぬ愛情がなければできませんね。私自身も、
まさか先生がこんなことまで覚えていらっしゃるのかとびっくりしたことが
あります。

たしか、先生が国連平和賞をいただいたときのことです。テレビでそのニュースを
聞いた私は、小さな箱に入ったチョコレートをお祝いのプレゼントとして学会本部
に届けました。池田先生のもとに届けられる「報告」や贈り物は、1日分だけでも
相当な数です。

チョコレートのプレゼントなんてありふれたものですよ。ところが、本部で取材を
終えて帰ろうとしたとき、池田先生と偶然お会いする機会があった。そのとき、
大勢の方と語りながら忙しそうに私の前を通り過ぎた先生から「チョコレート
ありがとう」とお礼の言葉をいただいたのです。

1日に何千という報告に目を通す先生が、まさかチョコレートのことまで覚えて
いてくださっているとは・・・。そんな感動が先生の周りには無数にあるんですよ。