2016年10月7日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年10月 7日(金)00時30分30秒 通報 編集済 紙面割りや誤報などの個別の問題はそれぞれの理由があるのでしょう。 素人なりに敢えて考えをまとめてみると、 従来は社会面が11面、10面で、全面広告が8面というパターンが一般的だったのが、 10月6日の聖教は、社会面が11面と8面に、全面広告が10面に 入れ替わったことにより、読者からみると違和感が生じた。という事なのでしょう。 どのような紙面割りにするかは編集者が決めることであり、 この点は、誰か私が呼んだ?様の指摘の通りなのでしょう。 また、スポンサーの意向との指摘もその通りなのではないでしょうか。 聖教新聞は宗教団体の機関紙でありますが、企業の体を成していますから、赤字を垂れ流しにしていい訳はないはずです。 広告という収入源を得る営業努力の必要性は否定出来ないし、一方で、しっかりと部数を拡大する為にも、読者である学会員の声に応えて、内容の充実にも努めてもらいたいのです。 もちろん、マイ聖教や1人が多部数を購読するような、かずの押し付けは論外ですが。 そうした学会員の思いを忘れないで紙面の作成には充分に留意をお願いしたいのです。 一方で、もっと社会的な見地から、掲示板にて聖教紙面への批判がありますが、現象を俯瞰してみれば、これは近年のマスコミに対する不信感や権威の崩壊現象などがあり、聖教新聞に対しても見方が厳しくなっていることはないでしょうか。 一般的にも、新聞社の編集は努力をしていても、見る側(お金を払う側)からは、対価に見合う価値を見出せないことに対する苛立ち現象なのではと思うのです。 これらは、新聞社に限らず、普通の企業でも、お客様側に対価に見合わないサービスしか提供出来ない企業は、顧客離れが進み、市場から淘汰されてしまいかねないのと、根は同じかもしれません。 聖教新聞の記者、編集者もこのご時世ですから、どう見られるか。について意識を高く持って行くべきでしょう。 あらゆる権威的なものには対する信頼は崩壊し始めているのですから。 そして、このような現象は、既存の価値観崩壊と共に、新しい文明の誕生を予感させるのです。 Tweet