2016年10月6日 投稿者:正義の走者 投稿日:2016年10月 6日(木)22時49分19秒 通報 宮田はどう見ても日精ですね。 釈迦本仏主義といい、曼荼羅一応本尊観といい、日精以外に例えようがない。 富士流をも一応認めながらも、本音には「造仏読誦」主義だった日精と、日蓮本仏を真正面から否定せずに、釈迦本尊主義をやんわりと入れ込んでくるそのやり口もよく似ている。 京都から来て、富士の影響を受けた左京日教とは逆で、 京都から来て、富士に京風を持ち込んだ日精こそ、 宮田に譬えるに相応しい。 宮田論文は正に平成の随宜論。 日寛の末法相応抄は表向き日辰批判だが、本当の的は日精の邪義。 これに例せば、宮田を表向きの的としながら、本部の姿勢を破折する須田論文は正に平成の末法相応抄。 Tweet