2016年10月7日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年10月 7日(金)11時12分33秒 通報 編集云々よりも記事の中身が劣化しているのではないか。長年聖教を読んで来た方々からみると、今の聖教は違和感がありすぎるのでしょう。 新聞が本来持つ社会的な使命と聖教新聞の誕生を確認すると、 ~~~~~ 『戸田先生が、私に、初めて新聞発刊の構想を語ってくださったのは、昭和二十五年(一九五〇年)の八月。先生の事業は行き詰まり、苦境の最中であった。 戸田先生は一身に非難の集中砲火を浴びていた。私は一人、師を支えた。そうしたなか、先生は、未来永遠の広宣流布の発展のために、何か手を打っておかねばならないと考えておられた。 事業の破綻が決定した二日後の八月二十四日――不思議にも私の入信記念日に、先生は、私にこう言われた。 「一つの新聞をもっているということは、じつに、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、よく考えておいてくれ」と。 ここから、「聖教新聞」は始まった。私と戸田先生の、師弟の対話から生まれたのである。 また、その年の十二月。東京の新橋駅の近くの質素な大衆食堂で、戸田先生と二人で食事を取りながら、新聞発刊の具体的な話になった。 先生は「これからは言論の時代だ。断じて言論戦で、広宣流布を切り拓こう!」と強く言われた。 翌年(一九五一年)の二月には、こう言われた。 「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ!」 先生は、いつも先頭であった。真の戦人であり、「広宣流布の闘士」であられた。 ともあれ、無責任な言論が横行する世の中である。当面論の暴力″とは断固、正義の論陣で戦わねばならない。当時も、今も、そして永遠に、変わらない。』 池田大作全集ス92)巻、第二回本部幹部会、第一回四国総会 (2001年1月29日)より ~~~~~ ■アタイデ総裁「新聞は歴史の行進を先取り」 アタイデ総裁は、新聞の使命について、こう述べられた。 「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」 商業主義でもない。自己満足のためでもない。新聞は「民衆の勝利」のためにある。このアタイデ総裁の言に照らせば、民衆を蔑視し、民衆の敵となる新聞など、新聞とは言えない。 学会は「民衆」の団体である。聖教新聞こそ、民衆の最高に「光輝ある力」を引き出す新聞である。「歴史の行進を先取り」した新聞である。 わが聖教新聞は、これからも、世界の第一級の良識と広く深く連帯しながら、さらに力強く、さわやかに、民衆の心、人類の心を動かしてまいりたい。 一波が二波、三波、そして万波となっていくように、新世紀へ、万年の未来へ、限りない希望の生命の波を送っていく。これが聖教新聞の使命である。 池田大作全集82巻、第六十五回本部幹部会、配達員大会、東京合同総会 (1993年4月20日)より ~~~~~ なのです。聖教新聞は学会員の信心を向上させるのは当然として、教学力を高め、折伏弘教や対話の原動力になり、さらに教養を高めていく、民衆の為の新聞でなければならないのです。 聖教新聞の記者や編集者はもう一度、聖教新聞の本来の使命を全うするべく努力を怠らないで欲しいのです。 池田先生が、師匠が見ていなければ何も出来ないなら、なんと情けない弟子なのでしょうか。聖教新聞の劣化も、やはり、関係者の信心の劣化によるもの、との指摘は的を鋭くえているのです。 *********************** http://6027.teacup.com/situation/bbs/57713 一般論として、聖教に限らず新聞の価値が下がっている現象がある。 投稿者:信濃町の人びと 確かに新聞業界は衰退しつつある世の中ですが。 一般紙は世相に大きく左右されます。 その「一般」はインターネットにシフトされてきてる傾向ですから。 「時代の流れ」に合わせてない一般紙では衰退はむしろ自然なことが起こってるといえます。 学会ではどうでしょう? インターネットは敬遠気味が学会の世相に感じるのですが。 もちろん普通にインターネットをする人は多いでしょうけど、宗教話はリアルを重視してる人がほとんどに感じますが。 それでも聖教新聞の衰退。 これは聖教新聞が衰退してるというより、学会の信仰内容自体の衰退が聖教新聞に「影」として象徴されてるように見えます。 『体曲がれば影ななめなり』ですね。 学会が衰退してるから聖教新聞が衰退してる、そう映るんです。 しかし、そんな事態になってることがそもそも「おかしなこと」です。 執行部が池田先生の指導を忠実に行ってるのであれば、衰退どころか大興隆のはずです。 聖教新聞は池田先生の思想を伝える新聞ともいえますから。 他のメディアより伝えてきてるのが機関紙「聖教新聞」なのですから、一般紙とは全く別物なんですね。 本来であれば、一般紙の流れとはほとんど関係なく聖教新聞だけは大興隆のはずだったんです。 しかし、事実は会員に多大な負担をおっかぶせても赤字かどうか、という状態のようですよね。 Tweet