投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年10月 7日(金)11時14分34秒   通報
人間革命五巻より
「個々に対する指導こそ、人間主義の自然の発露である。広宣流布という未聞の大事業は、幾千万の人々の血の通った団結によって、はじめて達成できるからだ。」

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組織に血が通っていなければ、それは、広宣流布の団結とは言えない。団結を叫ぶのであれば、リーダー(幹部)は、血の通った組織をつくらなければならない。血の通った組織とは、皆が言いたいことを自由に言える組織であり、幹部は当然、話を聴く姿勢があってこそ成り立つ。指導に関しても、一方的な指導は、指導ではない。そこには必ず、「納得性」がなければならない。

組織主義や官僚主義は、血の通っていない組織なので、その先に広宣流布はない。それは、団結以前のレベルの問題である。故に、本当に広宣流布を推進したいのであれば、組織主義や官僚主義を徹底的に排していく必要がある。それが誠意というものだ。それもせずに、いくら団結を訴えたところで、団結のしようがない。つまり、団結とは常に、リーダー(幹部)の姿勢が問われているのである。

広宣流布の一念に立つならば、組織主義、官僚主義は毒でしかないことがわかる。それを除かずに広宣流布の団結はない。皆が広宣流布の団結ができるように手を打つのがリーダーの責務であり、役割である。何も手を打たずに、一方的に団結せよというのは無慈悲であり、血が通っていない。それでは、「お前の血の色は何色だ!」状態なのである。

教義変更や安保法制の問題の根っこも、組織に血が通っていないところにある。問題の本質は、教義の内容や安保法制の賛否ではない。話を聴かないこと、一方的な姿勢そのものが問題なのだ。ここがわからないこと自体、血が通っていない証拠である。懸念や反対意見をもつ会員を邪険に扱い、腫物とし、組織から排除する。その先には広宣流布はないからこそ、おかしい(人間主義ではない)と訴えているわけです。

血の通った組織をいかにつくっていくかが、学会総体の課題である。一人を大切にとは、まさに血を通わせるということであり、だからこそ池田先生は、一人ひとりを激励された。その絆があるからこそ、今日の創価学会の発展があることを忘れてはならない。その反対が、54年の「時流には逆らえません」発言である。これほど血の通っていない台詞があるだろうか。

血の通っていない団結は、広宣流布そのものを破壊することにもなりかねない。時流には逆らえないという一念に団結したら大変だ。血の通っていない組織は、会員に違和感を抱かせる。違和感に鈍感になるのが組織信心であり、それは、人の心がわからなくなる危険性を有している。血の通っていない人間が、どんな残酷なことも為し得てしまうことは、歴史が証明していよう。

組織に血を通わせることを意識し、行動する中に、広宣流布の団結も生まれる。号令だけでは血が通っていないので、真の団結はない。ましてや、何かあるとすぐに、「団結を乱す魔」と決めつけることは、血が凍りついている。組織に血が通っていないこと自体が、団結を乱す魔であることに気づくことができるかどうか。今、ここが問われている。