2014年9月21日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月21日(日)09時33分15秒 返信・引用 著名な仏教学者・岩本裕氏は、法華経に説かれる「法師」について、次のように述べている。 「われわれは法師すなわち僧を考えるが、そうではない。仏教では一般に、仏・求法者および大弟子たちは深甚微妙の法を知り、これを演説するが故に法師といい、われわれが現在『法師』という語にもつイメージでも、例えば西行法師と言うように、『出家者』であり、『僧』である。ところが、『法華経』では異なるのである。『法華経』を信奉して、読んだり、誦したり、解説したり、あるいは書写したりする人を『法師』と呼んでいる」 また、「五種の妙行」と並んで、法師の修行として、法華経への十種供養が説かれる。 その一つに「伎楽」(舞や音楽)を演じて法華経を賛嘆することが説かれている。 元来、出家者には、舞や音楽を見物することすら戒律で禁じられていたのであるから、これは明らかに在家の修行であろう。 この点からも、正法弘通の「法師」として在家が活躍していたことがうかがえる。法華経では《出家の優位》など説かれていないのである。 大乗仏教の真髄である大聖人の仏法でもまた、現実に悪と戦い、法を弘めている人こそ、「法師」であり「如来の使」とされる。 そして、「諸天善神等・男女と顕れて」(御書七三八頁)と仰せのように、この、《如来の使い》を守るために、諸天等が在家の男女として顕れるのである。 学会員は、一次元からいえば、みずからも《如来の使い》であり、同時に同志を守る諸天善神の働きもしている。 まことに尊貴なる方々である。 ともあれ、外の権威には弱く、内には強い――外には言うべきことも言わず、卑屈にへつらって、あなどられ、内の信仰者に対してはすぐに威張るというのでは、まったく本末転倒である。 【青年部・教学部代表協議会 平成三年九月二十日(大作全集七十八巻)】 Tweet