投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月20日(土)16時31分37秒 返信・引用

真実を真実のままに話す。
事実を事実のままに話す。
それが歴史となり、未来を照らす。

また、自身の魂の健康を育んでいく。
青年は語らねばならない。

そして教学を学び、正邪の基準を知った教学部員は「正」を訴え、「邪」を破ってこそ、学んだ価値がある。

教学を武器に戦ってこそ、「学」が成仏への推進力となる。
日蓮大聖人は「文証」「理証」「現証」という《証拠》が、正法に不可欠であると教えられた。

御書には、文証がいかに大切であるか、経文や天台などの文を引いて強調されている。

「文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ」(御書一四八頁、大正三十三巻)
――経文によって説明できない者は、すべて邪であり、偽りである。かの外道と同じである――と。

これは天台の『法華玄義』の釈を引かれての仰せである。
また「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」(御書一五二頁、大正十二巻)
――もし仏の説くところ(経文)に従わない者がいれば、よく知っておきなさい、この人は魔の一類である――との涅槃経の文を引いておられる。

そして「文証」に基づかない過ちについて、それは「天魔の部類・外道の弟子」(御書一五三頁)であると厳しく破折しておられる。

私は大聖人の仰せどおり、つねに御書の「文証」を基準とする。
また歴代上人の正しき言葉にのっとって語る。

ある牧口門下生が言っていた。
「現在の宗門が、師匠である日亨上人と、日昇上人、日淳上人、日達上人等、歴史の上人のお言葉に『信伏随従』していたら、決して今のようなことにはならなかったであろう。師弟相対という、最も大切な基本はどうなってしまったのだろうか」と。

【青年部・教学部代表協議会 平成三年九月二十日(大作全集七十八巻)