2014年9月20日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月20日(土)10時18分23秒 返信・引用 「自然の大動脈=海」を「島国を囲む障壁」と見るようになったのは、後世の委縮した精神のせいである。 つまり「島国根性」が「閉鎖的な島国」をつくった。 「島国」が自然に「島国根性」をつくったのではない。 風土の影響が大きいことは当然として、一つの環境をどうとらえるかは、人間の一念しだいである。 広々とした海の存在を忘れて失敗したのが徳川幕府である。 周知のように、幕府を倒したのは薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)の連合である。 幕府は家康以来、薩摩藩を《仮想敵国》とし、その押さえとして、熊本に信頼している細川家を置いたり、また長崎など直轄領を重視した。 ところが、海運技術の進歩により、時代はいつのまにか《海の時代》になっていた。 《陸の監視役》だけではしだいに意味がなくなってきた。 幕末は、薩長両藩は、海上交通で容易に往き来できた。 また、倒幕の功労者・坂本龍馬は海運業の先駆者でもった。 もともと薩摩は、琉球(沖縄)と関係が深い。 海運は得意である。 一方、長州には下関がある。 下関は、中国、九州両方にとって、海運の重大な要石であった。 《海の時代》への変化に対応して「幕府はむしろ下関を押さえるべきであった」と、ある歴史学者は指摘している。 そのポイントが見えなかった。 この失敗が尾をひいた。 一側面からいえば、《海を制した》者が、《海を忘れた》者を破ったのが、明治維新だったといえるかもしれない。 時代に対応できなかった者の悲劇である。 ともあれ時流は刻々と動いている。 今、社会は新時代の大波に取り囲まれ、激しく洗われている。 この新時代の「海」を、どうとらえるか。 かつての幕府のように、保守的に「鎖国」し、海を《壁》としてしまうか、反対に、無限の大舞台が広がっていると見るか、そこに分岐点がある。 「創造力」の人は、変化のスピードが激しくなるほど、縦横の痛快な活躍ができる。 そして私どもは「価値創造の団体」である。 「人間性」「精神性」「宗教性」――時代の潮流の方向を見定め、いよいよ、カラを破って、世界と人類の大海原へ船出しなければならない。 いよいよ大聖人の仏法を真剣に正しく行じつつ、いよいよ世界的な「文化」「平和」「教育」の団体として、本領を発揮していく時である。 【各部代表協議会 平成三年九月十九日(大作全集七十八巻)】 Tweet