2016年6月13日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月13日(月)10時17分47秒 通報 さて、不軽菩薩を冷笑し 「杖木瓦石(肉体的暴力)」と「悪口罵詈(言論の暴力)」の迫害を加えた増上慢はどうなったのでしょうか。 今度はそれを見ていきたいと思います。 不軽菩薩は徹底して非暴力の闘争を展開し、ただ二十四文字の法華経を万人に説く言論戦を展開しました。 しかしそんな不軽の実践を見て、増上慢は悪口罵詈するのはもちろんのこと、 杖や棒で打ったり、瓦のかけらや石を投げつけて迫害する人間もいました。 たとえば、御書や池田先生の指導通りに実践して、学会幹部・組織から迫害された会員に置き換えれば、 杖木瓦石(肉体的暴力)は、 役職を解任されたり、活動を停止されたり、会員と接触禁止とか会館出入り禁止など、 人権侵害とも言える外的暴力だと捉えることも可能です。 また悪口罵詈(言論の暴力)は、 その人を孤立させるために、嘘の作り話や、いかにその人が悪党(仏敵)であるかという 印象操作のための罵詈罵倒という言論の暴力に置き換えることもできます。 いずれにしても、このような不軽の忍耐は何年も続きます。 しかし、どんなに悪口を言われようと、 たたかれようと、不軽菩薩は二十四文字の法華経を下種して歩いたのです。 池田先生は 「『忍辱』の修行だ。仏のことを『能忍(よく忍ぶ)』というが、忍耐しきれるかどうかで決まる」 (法華経の智慧五巻一一二頁)と、仏道修行の心構えを教えています。 そんな不軽菩薩を軽んじ、迫害した増上慢はその罪によって二百億劫の間、仏法を聞くこともできず、 さらに千劫もの間、阿鼻地獄の苦悩を受けることになったと不軽品には説かれています。 Tweet