投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月17日(水)09時21分46秒 返信・引用

さて、このハンガリーで百五十年近くにわたって語り継がれている、誇り高き《民衆の詩》がある。
それは、ハンガリー独立戦争が始まった一八四八年、若き革命詩人ペテーフィ(一八二三年―四九年)が謳いあげた詩である。

当時のハンガリーは、十六世紀の初めから、じつに三世紀以上も異民族に支配され続けていた。その巨大な圧政に対して、ついに民衆が抵抗を開始したのである。
権威、権力の悪に対して、目覚めた民衆が戦い挑んでいく――いつの時代にあっても、これは歴史の必然である。

独立戦争の端緒ともなった一八四八年三月のペシュト(現在のブタペストのドナウ川左岸)市の市民蜂起で、二十五歳の青年詩人ペテーフィは、自作の詩を、民衆の前で高らかに朗読する。

起て マジャール(=ハンガリー)の民よ、祖国が喚んでいる
今こそ起つ時、今起たねば起つ時はない!
隷僕の民に甘んずるか、自由の民になるか、
いずれをとるか、君ら応えよ!

青年ペテーフィは叫ぶ。
奴隷の身に甘んじるのか、本当の自由の身を獲得して、わが人生を謳歌していくのか、どちらを選ぶのか、どちらかしかないのだ、と。

立つ時を見失ってはならない。立つ時に立たなければ、一生、悔いを残してしまう、と――。
徹して真実を語り、訴え、叫んでいく――これこそ、正義の言論戦である。
いわれなき非難が《十》あれば、《百》の反論をしていく。これが、生きた人間である。道理である。

悪を放置するようなお人よしであってはならない。
傲りに傲る権威、権力に盲従するような時代は、完全に終わらせねばならない。
今は、民衆をしばっていた鉄鎖の迷妄を、民衆自身の手で打ち破っていく《民主の時代》である。
大聖人の《民衆の仏法》を持った私どもこそ、この時代の先頭に立って進む、使命と資格がある。

若き革命詩人ペテーフィはみずからこの詩のとおり、愛する故郷の自由のために、《先頭》に立った。そして阿修羅のごとく戦い、革命の戦場に死んでいった。二十六歳という若さであった。

《先頭》に立って戦う――それでこそ革命児である。
私もその決心で矢面に立ってきた。
ゆえに、迫害も多い。影に隠れていては、風圧もないであろう。

いずれにしても、「革命は死なり」である。
死ぬ決心なくして偉大な道は開けない。
広布の偉業にあってはなおさらである。

牧口先生も、戸田先生も、一命を賭して広布の道を開かれた。
私も毎日、「臨終只今」(御書一三三七頁)の決意で戦ってきた。
日蓮大聖人の正法の広宣流布――ただそれだけを祈った。
そのために働いた。書いた。話した。尽くしに尽くした。広げに広げた。
そして広宣流布が《もう安心だ》《もう磐石だ》というところまで見届けるために、私は生きて生きぬく決心である。

【山光総会・音楽祭、中国総会、宮崎県総会・合唱祭 平成三年九月八日(大作全集七十八巻)】