宗教改革の闘士コメニウス②
投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月16日(火)11時11分13秒 返信・引用

コメニウスが求めたものは「人類全体の救い」であった。
それを求める過程で、しだいに彼の力点は一教団の枠を超え、開かれた。普遍的な「教育」へと移っていった。

もとより、《精神の父》たりえない、堕落した宗教など論外であった。
「人間」を見つめ、「人間の完成」をめざした彼の眼光は、人類の希望の光を「教育」に見いだしたのである。
教育の革新があってこそ「学問」も「政治」も「宗教」も光を放つ、と。

「教育」こそ人類の「大事」なり――人生と社会を達観した人の心であろう。
私も、二十年以上前に「私の最後の事業は『教育』である」と宣言した。

彼が訴えた「教育」とは、「すべての人に、すべての事を、徹底的に教える」という、「汎知(広く、全体にわたる知性)主義」の立場に立っていた。

一部分の事を、一部の人だけに教えるなどといった、偏った性格のものではなかった。
そして、「教える者、あるいは学習する者に、この上ない楽しさを感じさせる」教育を主張し、実践していった。

「教育」――。
学会もまた、創価教育学会として出発した。一貫して「教育」を重視してきた。

青年部だけでも、各種の《大学校》をはじめ、御書を学び、人生と社会を学ぶ《学びの場》を、大きく広げてきた。
だれもが楽しく、有意義に学べる「人間教育」の道を開いてきた。

学会のあり方それ自体が、まさに、一つの大きな民衆教育運動、社会教育運動、社会教育運動であったといってよい。
すべての人が、すべてのことを、徹底的に、また楽しく学んでいける――ここに、人間が、社会が進むべき重要な進歩の軌道があり、成長の法則がある。
そして、それはそのまま、私どもがめざし、進んできた道なのである。

さらにコメニウスは「自分で自分を養い、自分を強め、自分を広げていく知識」を重んじている。
仏法で説く、「知恵」の開発の重視に通じよう。

ともあれ、「知は力」である。正しい「知識」を豊かにもってこそ、人間は人間として確立されていく。
「知恵」が開かれ、「人格」が育まれていく。そのために「教育」がある。

一方、権力化した宗教は、概して、自分たちのみに通用する知識を、一方的に押し付ける。
理性と道理に反する主張をし、納得いかない人がいれば、権威で抑えつけ、閉ざされた狭い世界の中に、人間を押込めようとする。

――断じてだまされてはならない。
そした《自分を弱め、自分を狭めていく知識》の世界に、惑わされてはならない。
「英知」を磨き、人間としての「力」をつけ、「人格」を築きながら、人生の幸福を満喫していける。
人間の完成という、「教育」の目的を大きくつつみつつ、みずからの可能性を、最大に開いていける――それが真実の宗教である。

【学生部・教育部合同総会 平成三年九月三日(大作全集七十八巻)】