2014年9月16日 宗教改革の闘士コメニウス 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月16日(火)10時53分52秒 返信・引用 編集済 どこの国であれ、どんな時代であれ、権力者の手段にされて苦しむのは、結局「民衆」である。 いつまで、そんな愚行を繰り返すのか。もうそうした人類の宿命は絶対に転換しなければならない。 そのために諸君がいる。 こうした激動の時代を、コメニウスは「宗教改革の闘士」「民衆の教師」として、新しい「人間変革の道」「宗教改革の道」「教育改革の道」を歩んでいった。 コメニウスの行く手には、当然のごとく、既成の勢力の壁が立ちはだかった。 弾圧も受けた。「改革者」と「反動」との対決――いつの時代も、この構図は同じである。 彼は三十六歳から、死ぬまでの四十二年間、亡命生活を強いられる。 権力者や聖職者たちによる、事実上の国外追放であった。 その苦しみ、半生を異国の地に送る《流浪の旅》――少々の悪口など、比較にならない。 だが、コメニウスは退かなかった。戦い続けた。 すべてを新たな飛躍へのバネにした。そこにこそ、彼の偉大さがあった。 彼は、ポーランド、イギリス、スウェーデン、ハンガリー、オランダとヨーロッパ中を駆けめぐる。 各国の著名な学者や有力者たちと友情を築き、連携をとりつつ、正義のネットワーク、平和のネットワークを広げていった。 ――わが使命のある限り、愚痴はなかった。後退もなかった。 彼を追い出したつもりの、堕落の権力者や、狂言の聖職者たちとは、まったく次元が違っていた。 そうした人間たちを堂々と見おろしながら、彼は、前へ、つねに前へと、わが道を進んだのである。 生きている限り、必ず何かを為す。成し遂げる。 圧迫があるほど、かえって闘志を燃やし、道を広げていく。 それが、人生の真髄である。信念の勇者の魂である。 まして、「革命児」といい、「学会精神」を口にするならば、みずからが獅子でなければならない。 「羊千匹より獅子一匹」と。 それが牧口先生の遺訓でもあった。私もまた、この心で戦ってきた。 口先だけの者は、ご存知のとおり、背信者として皆、去っていった。 彼らは組織の偉大さに安住していた。 保身を微塵でも考えるようになったら、殉教の牧口先生、戸田先生の弟子とはいえない。 学会精神の崇高さ、峻厳さを、いささかもおろそかに考えてはならない。 コメニウスの鋭い眼は、当時の堕落した聖職者たちを、次のように赤裸々に描き、批判している。 「私は彼ら(=聖職者)が宗教の奥儀をきわめ。祈念しているだろうと思ったのに、羽根ぶとんにくるまって高いびきで眠っている者がいるかと思うと、酒宴を開いて、あらゆるものを口がきけなくなるほどのんだり食ったりしている者がいる。 他の者は踊ったり、はねたりしている。他の者は財布や金庫を部屋の中につめこみ、他の者は浮気と淫乱におぼれている」と。 さらにコメニウスは、聖職者たちが、偶像をちらつかせて金儲けをしている実態をあばき、こう言い放つ。 「思うに彼らの精神の(Duchovni)父と呼ぶのは疑問だ。金儲けの(Duchovni)父と呼ぶ方がふさわしい」(同前) ――なんと鋭い一言か。「悪」を打ち破る弁舌はこうありたい。 【学生部・教育部合同総会 平成三年九月三日(大作全集七十八巻)】 Tweet