投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月15日(月)14時27分47秒 返信・引用

頭を下げないと、権力者からはにらまれる。
陰険な迫害もある。
ゆえに、絶対に「安穏」ではない。

学会は、大聖人の御精神そのままに、あらゆる難と戦い、勝ちぬいて、広宣流布を進めてきた。

「安穏」などあろうはずがなかった。

しかし、この信念に殉じてきたゆえに、大聖人門下のだれ人も成しえなかった、《奇跡》とも《不可思議》ともいわれる「世界広宣流布」の堂々たる歴史を開くことができた。

また宗門史上かつてない、偉大なる外護の歴史を築くことができたのである。

「安穏」でないことが、妙法を正しく行じ、弘めていることの証明である。
反対に、正法を持っているように見せながら、何の迫害もなく、「安穏」を貪る姿は、広宣流布に戦っていないという証拠である。

この道理は、今も、またこれからも変わらない。

【北海道文化会館・記念の集い 平成三年八月二十六日(大作全集七十八巻)】