投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 9月 9日(金)01時44分39秒   通報
外国にいますといろいろな宗教を持っている人がたくさんいます。
それらのほとんどの宗教は、万能で完全である「神」を人生の拠り所として崇拝しています。
そして、それらの神々は「根本清浄」な特質を持っています。

身近にも、いろいろな宗教をもっている方達がいるので、私が見た観点から少し分析してみました。

人生にはいろいろ善い事、悪い事が起こります。
古来から人間は、いろいろな悪い事が起こることの原因を私達の手の届かない何か大きな力に支配されている
とする見方や、又、自分や他人の命の中の醜い部分が、自分達の人生や社会に悪影響を及ぼしているのを
無意識にでも感じていて、完全に私達人間というものに対する信頼も希望も失ってしまったところから、
自分の外にある何らかの万能の力に畏敬の念を抱くことによって人生の規範を決め、それに従うことによって
心の拠り所としている様な宗教が多い様に見受けられます。
それは悪魔への崇拝を標榜して、残酷な事をするのをよしとするグループ(本当にこういうグループもあります)
は別にして、そういう宗教の神の性質は、「完全であり万能」「愛による支配」「神の決めた規範への従属」
を奨励しますが、それに心を寄せる人達の動機はやはり、神の性質である「清浄さ」でしょう。
こういう宗教にとっては、私達の生命自体の何たるかを考察することは無意味であり、ましてや神の創造物
であるものを分析して、その中に独自の価値をみつけようとする試みなどは、神の権威を阻害する様な行為
であり、悪の学問と言われかねません。

又、それと対を為す様に,汎神論(はんしんろん)という思想の形態があります。
上記の様な思想とは違って、この思想では、自分の外に見てきた神性を、今度は生命の内部に見ようとする思想です。
これらは三世の生命を説かないのでまだ外道の域を出ないのではありますが、自分の内部に力を見出そうとする意味
では内道である仏法に似ています。。