2016年5月4日 投稿者:生涯広布(正義の師子同盟)メール 投稿日:2016年 5月 4日(水)23時14分6秒 通報 先日のインド仏教滅亡の歴史の転載・・大好評?だったと勝手に解釈・・^v^ 前半部分を少し、抜粋転載・・昭和62年9月15日 各部合同代表者会議 池田大作全集69 転載開始 発祥の地インドでの仏教興亡の歴史 さて、私の恩師である戸田先生は、よく様々な没落の姿に触れられ、”あれだけ有名な会社が倒産したのは、 なぜなのか” ”あのように立派な人が、最終的には悪の苦海に沈んだのはどうしてなのか” ”あの栄えた国が滅亡に至った理由は何か” ”あのような優秀な民族が滅び去ったのはなぜか” 等々、敗北の原理について追求され、論じられた。 また、それを追求し、知っておかなければ、偉大な指導者にはなれないと、よく、私どもに”衰亡”と”転落”の方程式 を教えてくださった。 仏教発祥の地であるインドにおいて、あれほど隆盛を誇った釈尊の仏教が、なぜ滅んだのか、その理由の一端について、 概観だけでも申し上げておきたい。というのも、仏教の興亡の歴史から、御本仏日蓮大聖人の仏法が、 また、我が創価学会が、未来永劫に栄えていくためにも、なんらかの参考になればと思うからである。 中略 ビンバサラ王という王は、賢王であるゆえ、釈尊の信者の中では世界第一であった。しかも、 この王はマガダ国であった。仏(釈尊)はまた、この国において法華経を説こうと思われた時に、 王の信仰の心と仏の化導の意が一致していたので、 必ず法華経が説かれるであろうと思われたーーと。 しかし、釈尊が最も大事な法門を説こうとした時に、反逆者・提婆達多が登場する。 釈尊への怨嫉の心に支配された提婆は、なんとか釈尊の本懐を妨げようとした。 御書には、すぐ後に”提婆と申せし人・いかんがしてこの事をやぶらんと・おもひしに・全て‥頼りなかりし” P1537 提婆という人は、なんとかしてこの事を駄目にしようと企てたが、全てがうまくいかなかったーと仰せである。 つまり、最初は、提婆の企みも、なかなか功を奏さなかった。 ・・略・・ しかし、あれこれ画策し、ビンバサラ王の太子である阿闍世王を、数年の間に様々に説得して、次第に心をつかみ、 親と子の間をたがえさせ、阿闍世王を騙して父のビンバサラ王を殺させーーたのある。 子をそそのかし、実の父親を殺害させるとは、何たる非道であろうか。だが、これは史実である。 ”提婆の心”の恐ろしさを、私どもはよくよく心していかねばならない。また、歴史において、正法誹謗の様相は、 常に同じであったし、これからも同じであるに違いない。 それにしても阿闍世王は”閻浮提第一”と言われた賢王の子である。それがいともたやすく提婆の甘言と奸計に 騙され、父殺しの大罪を犯した。 やはり、親と子は別である。父や母が、いかに立派な人でも、子供が全て人格者となるわけではない。またいかに 夫が良い人でも,夫人が良くない場合もある。人間は、決して血縁のみできまるわけではない。 続く Tweet