投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月 7日(水)16時24分8秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-4-23 【新時代第17回本部幹部会 広布第2幕第2回全国婦人部幹部会】

●一、海外の皆様!
遠いところ、お疲れのところ、本当にご苦労さま! ありがとう! 感謝します(大拍手)。
まず、うれしいことに、この5月3日を前に、新しく二つの国に、わが創価の同志が誕生した(大拍手)。
一つは、南太平洋の美しき「ソロモン諸島」。
そして、もう一つは、ヨーロッパの文化の宝庫「モンテネグロ」(旧ユーゴ)である。
おめでとう!(大拍手)
どちらも、戦乱の悲劇を乗り越えて、新しい時代を開いてきた国である。創価の同志は、懸命に生き抜き、未来のために働いている。
これらの天地にも「平和の妙法の大音声」が響き始めたのである。
これで、SGI(創価学会インタナショナル)の連帯は、世界192カ国。地域の広がりとなった。まさに、全世界である(大拍手)。

■ 一、そして、配達員の皆様方!
皆さんは、一番、地味で、一番、大変だ。配達を経験した私には、よくわかる。
暑い日も、寒い日も、雨の日もある。お腹がすいている時もある。朝早く、多くの人は、まだ寝ている。そこを飛び起きて、聖教新聞を配ってくださる。尊い決意なくしては、本当に、できないことだ。
配達員の方々のご苦労がわからなければ、また、配達員の方々に深く感謝する心がなければ、真実の広宣流布の指導者とはいえない。
陰の労苦も知らず、自分は偉いと思い上がった人間も、配達をすれば、目が覚める(笑い)。
ほかのだれでもない、広布のために動いた人に大功徳がわく。その人が勝利者なのである。
反対に、自分は苦労を避けていながら、同志を見下す増上慢は、厳しい仏罰を免れない。

●いよいよ! これから!
一、新しい人事、新しい出発、おめでとう!(大拍手)
役職を後輩に譲った先輩方は、本当によくやってこられた。
だからこそ、たとえ役職は変わっても、今までと同じように進んでいくことだ。
信心は、役職で上下があるのではない。年齢でも上下はない。信心は信心である。外面的な位ではない。
信心は、心で決まる。この一点を忘れてはならない。忘れたら、大変な損をする。
後輩の道を開いた尊い先輩方に、皆で感謝し、讃嘆してさしあげたい。
ともあれ、心は一歩も下がってはならない!
これが仏法である。日蓮大聖人の御精神である。「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)と仰せの通りだ。
大聖人は、晩年、身延に移られてからも、最後まで広宣流布のために戦い抜かれた。多くの御手紙を残し、若き弟子を育てられ、法難と戦う指揮を執られた。
自分が今いる、ここで戦う。折伏をする。一歩も退かない。広宣流布の誓いは、一生涯、変わらない──これが大聖入門下の心意気である。
話をする時も、力強い声で、生き生きと語るのだ。大情熱がなければだめだ。皆と心がバラバラになってはいけない。同志から離れずに、集い合っていくのだ。
どんな立場であろうとも、広宣流布を、どんどん引っ張っていく。全学会をリードしていく。その気概と責任感を断じて失ってはならない。
人生も、信心も、常に「いよいよ、これから」と決意して進むのだ。その人が最後の勝利を飾っていけるのである。

●福徳輝く道を
一、誇りと希望に燃える人生は尊い。美しい。それが学会の同志である。
我らの前進は、末法万年尽未来際という長い長い道のりである。くたびれて、途方に暮れることもあるかもしれない(笑い)。
けれども、私たちが歩む道は、全部が花が咲き、全部が宝石が輝くような道である。
何があろうと、全部が、自分のための滋養となっていく。そういう道を歩んでいるのである。
だから前進するのだ。
間違いない道なのだ。
それを大聖人は教えてくださった。御本仏に絶対に嘘はない。
生々世々、最高の幸福と勝利の道を生き抜いていけるのである。
〈大聖人の仏法は生死不二と説いている。妙法に生き抜いた人の大境涯について、御書には次のように仰せである。
「南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。
天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。
我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である」(御書1386ページ、通解)〉
恐れなき師子王であられた大聖人の御境涯。
絶体絶命の窮地にあっても揺るがない、最高の歓喜と幸福の実感。
いかなる嵐があろうとも、勝利の人生を生き抜かれた事実。
これらを仰ぎ見る時、「仏法は、人間は、かくも偉大なのか」と感嘆せざるを得ないのである。
今、少しくらいお金がなくても、心配することはない。金持ちかどうかで幸不幸は決まらない。
私たちは、大聖人を信じて、広宣流布のこの道を心広々と進んでいきましょう!

●真実の広布の闘士と光れ!
一、アメリカ婦人部のスナイダー書記長、先ほどは素晴らしいスピーチ、ありがとう!(大拍手)
〈本部幹部会に先立ち、スナイダー書記長がアメリカSGIの発展の様子を報告した〉
スナイダー書記長は、全米の女子部長を務められ、アメリカSGIの中核として歩んでこられた。私も、何かあれば応援しようとの思いで、ずっと見守ってきた。
本当に、よく頑張ってこられた。
今、アメリカでは英語版『香峯子抄』が反響を広げている。
『香峯子抄』は日本では137万部を超えるミリオンセラーとなった。(主婦の友社編著・刊)
学会の真実と正義を伝えゆく一助として、喜びたい。ありがたいことだ。
ともあれ、本当の偉大なアメリカSGIが立ち上がった。リンダ・ジョンソン婦人部長、ダニエル・ナガシマ理事長をはじめ、アメリカの同志に、よろしくお伝えください(大拍手)。
一、嘘やインチキは、必ず明らかになるものだ。これまでも、己の欲望のために悪事を働いた人間は、最後は醜い本性を暴かれた。
学会に反逆した人間たちは皆、結局は転落していった。
同志の真心、学会の大恩を仇で返した輩の末路は悲惨である。厳しい仏罰を受けている。
二度と、こうした悪人を出してはならない。

■ 学会の同志の皆さんは私の眷属である。いわばきょうだいであり家族である。ゆえに私が皆さんを代表していただく栄誉は、すべて皆さんの福運になると確信している。
私は、私が何かを受けることなどではなく、「創価学園生がノーベル賞に輝いてほしい」「創大生が、また創価学会の同志が実証を示してほしい」と、毎日毎日、祈っている。自分のことは考えていない。弟子が、どう結果を示すか。これこそが、師匠にとって何よりも尊い宝となるのである。

●「策」に走るのは魔物の動き
一、私は、あらゆる分野の第一人者と対話してきた。その対話は、世代を超えた広がりを持っている。
民衆の平和への願いを世界の指導者に訴えてきた。こうした対話を、心ある識者は高く評価してくださっている。
ともあれ私は、戸田先生、牧口先生の遺志を受け継ぎ、日蓮大聖人の根本の精神に直結する行動を重ねてきた。皆さんもこの後を受け継いでいただきたい。
師弟をないがしろにして何をなそうとも”作り物””偽物”である。それらに惑わされると危うい。「策」に走り、人を操ろうとするのは魔物のやり方だ。そういう動きがあれば、戦わねばならない。
私は全生命をもって戸田先生に仕えに仕えた。
牧口先生と戸田先生の師弟、戸田先生と私の師弟で、学会の勝利は決まった。仏法は厳しい。「師弟不二」の心があるか否かで決まる。偉くなって威張ろうなどという邪心は、これからの幹部には微塵もあってはならない。
諸君全員が、本物の弟子として立ってほしい。「心こそ大切」である。決意も行動も、「心」から起こる。決して格好ではない。

●婦人部に最敬礼
一、今回、桜の詩碑の建設を提唱してくださったのは、ビンゲン市のコーリン・ランゲン市長。聡明な女性指導者であられる。光栄なことに、市長は「詩碑の設置場所は、庭園内の一番よい場所です」と語ってくださっている。
碑は精神を永遠に伝える。私は、恩師・戸田先生の故郷である北海道の厚田に、堂々たる先生の像を建てた。立派な墓地公園もつくった。恩師を宣揚し、同志に尽くし抜いてきた。
新時代を担う諸君は、全員が、この師弟の心を受け継いでもらいたい。
幹部だからといって、威張る資格などあるはずがない。折伏も個人指導も何もかも、一番進めてくださっているのは、婦人部の皆様である。
尊き広布の女性に対して、心を込めて頭を下げるのは、当然である。一段と、幹部がしっかりしなければならない。リーダー自身が生まれ変わらなければ、真剣な同志は愛想を尽かす。
何よりも、皆の幸福を心から祈っていく。これがリーダーの出発点でなければならない。
ともあれ、男女同権は世界の常識である。女性を下に見たり、ふざけ半分で軽んじたりすることは、断じて許されない。
これまで以上に、女性を大切に! 女性に親切に!──これを男性の幹部は深く心に刻むべきである。
尊き創価の女性に最敬礼を捧げたい(大拍手)。

●人間の根幹は恩
一、話は長くなるが、大事なことなので、今、語っておきたい。
日蓮大聖人は、明確にこうおっしゃっている。
「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた」(御書491ページ、通解)
仏法の根幹、人間の根幹の道は「恩」である。
恩を仇で返すような人間は、断じて許してはならない。そうした連中にだまされ、左右されるようになったら、おしまいだ。
「絶対に恩知らずとは戦え!」とは、戸田先生の遺言であった。
太陽系には、太陽系の運行の軌道がある。
銀河系には、銀河系の調和の軌道がある。
仏法の世界には、人間が人間らしく生きゆく、正しい生命の軌道がある。
それが「知恩」であり「報恩」の道である。
これを大聖人は教えてくださった。
リーダー自身が、この精神を命に刻み、身をもって伝えていくことだ。
一、古今東西を問わず、「忘恩」は厳しく戒められてきた。歴史上の事実である。
古代ローマの大哲学者セネカは喝破した。
「すべての悪より低劣なのは、恩知らずである」(小川正廣訳「恩恵について」、『セネカ哲学全集2』所収、岩波書店)
恩を忘れるところから大きな乱れが始まる。これまでの退転・反逆の輩も、恩という一点がなかった。
私は、戸田先生が言われた「報恩の道」を、厳然と開いてきた。
先生は「大作がいるから、学会は筋を通して、真っすぐに進んでいる」と、ほめてくださった。
一方で、先生は「組織が大きくなれば、悪い人間も出てくる」と心配されていた。
だからこそ、私は「関西」の天地に、師弟直結の模範の人材城を築いてきた。
関西の皆さん、しっかり頼むよ! 頼るべきは、関西である。大関西があるかぎり、学会の未来は盤石だ(大拍手)。
一、戸田先生は、このように、有名な指導を残された。
「現在の世相を見ると、人の道である知恩・報恩を貫く者は、ごく稀となってしまった。忘恩から、社会の乱れが生ずるのである」と。
生み育ててくれた「父母」の恩を忘れてしまえば、家庭は乱れる。当然のことだ。
世の指導者は「民衆」の恩を忘れ去った時、慢心を起こし、狂い始めるのが常である。
戸田先生は断言なされた。
「恩知らずから、魔は動く。恩知らずから、堕落は始まる。恩知らずから、畜生になる」──このように厳しかった。

■ 一、さまざまな「恩」のなかでも、とりわけ大切な、根本の「恩」とは何か。
それは「師恩」、すなわち、仏法を教え、人生の規範を示す師匠の恩である。
師恩のありがたさを、日蓮大聖人、そしてまた日寛上人は教えてくださっている。
〈「報恩抄」で大聖人は、「父母の恩」「師匠の恩」「三宝の恩」「国土・社会の恩」の四つの恩をあげられている。
日寛上人は、同抄の題号の意義について、通じては、「四恩」に報いる、別しては、「師匠の恩」に報いる意味であると、釈しておられる〉
戸田先生は、法難の牢獄にまでお供して、牧口先生に報恩の誠を尽くされた。牧口先生にお仕えする姿は、厳粛そのものであられた。
それだけに、戸田先生は、師恩への違背を烈々と叱られた。
「師弟」という一点に対しては、それはそれは鋭く、厳しかった。
ひとたび怒ると、そこに居られなくなるほどの迫力であった。
その先生に、私は育てられた。10年間、朝から晩までお仕えした。本当に偉大な先生であられた。
一、戸田先生は遺言された。
「社会的な地位をもっている者が、信心がなくなり、その立場にふんぞり返って、その中に悪鬼入其身して、魔となるのである」
「師匠のおかげで偉くしてもらいながら、将来、畜生の如く師恩を仇で返し、踏みにじっていく悪逆な連中が出たならば、断じて許すな!」

●『戸田先生』 恩知らずから堕落は始まる

創価の師恩を忘れ、増上慢に狂って、学会に弓を引いた輩は、例外なく、厳しい仏罰を受け、無残な末路をたどっていることは、皆様がご存じの通りである。
私は、そうさせたくないから、人生を勝たせてあげたいから、厳しく言うのである。
社会的地位は、信心とは関係ない。絶対にその人を特別扱いしたり、威張らせてはならない。
また、社会で重責ある立場の人は、自分の分野で立派な成果を上げ、第一線から退いた後も、地域に尽くし、学会に尽くし抜いていく。そういう人生を歩んでもらいたい。
一、インドの提婆達多は、師匠である釈尊の恩を裏切った。
仏弟子たちは、師敵対の提婆達多に激怒し、責めたと、経典は伝えている。
──提婆達多よ、釈尊は、あなたの師匠ではないか。師・釈尊のおかげで、あなたは仏法を知り、深い境地を得られたのではないか。その師匠に敵対するとは何事か──と。
弟子が大事である。
弟子が愚かであれば、増上慢の人間に、和合僧の組織を破壊されてしまう。
恩知らずの人間に対しては、弟子が立ち上がり、戦うことだ。恐れず、言うべきことを言っていくことだ。
一、師恩に報いるための要諦は何か。
不惜身命で広宣流布のために戦うことであると、日寛上人は、報恩抄の文段で明快に示しておられる。
いくら口先で師匠を讃えても、「戦い」がなければ、師恩に報いたことにはならない。
「行動」である。「戦う」ことである。
大難が競い起ころうとも、身命を惜しまず、邪悪と戦い抜く。そして、正法を弘めて、人々を救っていく──これこそ、師恩に報いる真の道なのである。
〈「報恩抄文段」に「大難競い起るとも身命を惜しまずして詩法を呵責し、能く大難を忍んで法華経の行者と顕れ、父母・師匠等の大恩を報ずべしとなり」等とある〉
その通り、一分の狂いもなく、創価の三代は、健気な真実の同志とともに、戦い続けてきた。
「師恩に報いる」という根本の道を示し切ってきた。
だからこそ、現代史の奇跡とうたわれる、世界広宣流布の時代が開かれたのである(大拍手)。

■ 一、仏法で説かれる「師子」とは、「師匠」と「弟子」との一体不二の生命にほかならない。最強であり無敵なのである。
師恩に不惜身命で応えゆかんとする弟子の「信力」「行力」にこそ、無限の「仏力」「法力」が厳然と現れる。
師弟の心が合致すれば、恐れるものはない。何ごとも、必ず成就することができる。
わが青年部よ。子孫末代まで、この法則、この法理を絶対に忘れず、後悔なき「この道」を堂々と進みゆけ!
偉大なる青年部よ。きょうも明日も、永遠に勝ち進め!

●勝利の師弟の姿を忘るな!
一、戸田先生は晩年、慟哭しながら、語ってくださった。
「大作は体が弱いのに、師匠である私のために、これほどまでに、命を削って、言語に絶する師子奮迅の努力をしてくれた」
亡くなられる直前、固く手を握られ、「ありがとう」「ありがとう」と言ってくださった。
私が、先生の後継の第3代に就任したのは、昭和35年(1960年)の晴れわたる5月の3日。
妻はこの日を、わが家の葬式と覚悟した。
以来、1年また1年、戸田先生からいただいた命で、私と妻は、あらゆる三障四魔に打ち勝ってきた。今日の学会を築き上げた。
もし私がいなかったならば、学会は宗門に乗っ取られ、内部の師子身中の虫たちに攪乱され、今日の姿はなかったという人もいる。
しかし私は、大聖人の御加護をいただき、ますます健康で、全世界の指揮をとり、学会を守っている(大拍手)。
だれ人も想像できなかった姿であろう。
この厳然たる師弟の勝利の姿を忘れることなく、勝ち進んでいただきたい。
こう申し上げ、私のスピーチを終わります(大拍手)。
常勝関西はじめ、全世界の同志の幸福、万歳! 長時間、ご苦労さま。ありがとう! お元気で!(大拍手) (2008・4・23)

※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。