投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 9月 7日(水)12時40分17秒   通報
人々がともに暮らす現代社会で人類の誇りともいうべき〝人間の智慧〟の一つは、
多数の意思に〝支配の権限〟を認め、それを制度化した「民主主義社会」を確立したことだと思います。

これは一人の権力者によって全体が支配され、
暴走することがないように、人間の英知を結集して作り上げたものです。

この多数の意思に権限を与えたいわゆる〝多数決の原理(民主主義)〟という考え方は、

上も下もなくそれぞれの課題を皆で議論し、
皆が納得して、円滑に物事が決まるように制度化する取り組みといえます。

しかし、過去の歴史において、多数の賛同をもって〝正義〟とし、この制度を
巧みに利用して支持を集めたナチスが登場しました。

かつてのドイツ民主主義は、ドイツ民族の多数の支持によって

ナチスに〝正義〟の名を与え、

結果としてユダヤ人の大量虐殺や侵略戦争の暴走を許し、
民主主義の悪しき側面をあらわにしました。

このような歴史的事実の教訓から〝世界の知性〟は

「どうすれば恒久的な平和社会を作れるのか」を模索し、
やがて彼らは世界最高峰の東洋(仏法)哲学に着目していきました。

それまでの西洋文明はキリスト教思想に支えられてきたといってもいいでしょう。

中世のキリスト教会では

「現存する社会の秩序は〝神の意志〟であり、神の欲するところだからその秩序に従わなくてはならない」

と民衆に言い聞かせ、服従を求めてきたといえます。

つまり、人間性を抑圧し、民衆を支配する統治方法を用いてきたのです。
自然科学においては、聖書に固執するあまり〝地動説〟を否定し、進化論を攻撃したのは有名な話です。