2014年9月12日 女性の英雄ジャンヌダルク 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月12日(金)10時32分44秒 返信・引用 ヨーロッパの一人の乙女の話をしたい。 十四、十五世紀――キリスト教華やかなりしころである。 いわゆる外道の世界のことであるが、妙法を根底にする時、一切法は皆仏法であり、私どもにとっても歴史は珠玉の教訓の宝庫である。 また大聖人も、御書に多くの外典(仏典以外の書)を引いておられる。 「百年戦争」(一三三八年ごろ――一四五三年)。イギリスとフランスの間に繰り広げられた長き戦いがあった。 次元は異なるが、私どもの平和の戦い、広宣流布の戦は末法万年にわたる。 悠々と、何ものも恐れず、小さなことに一喜一憂せずに、《図太く》、《図々しく》進むくらいであっていただきたい。 さて、この戦争の末期、敗戦の色濃いフランスに、「救国の乙女」が現れた。有名なジャンヌ・ダルクである。 彼女の行くところ、連戦連勝であった。 もとはといえば、彼女は平凡な農民の娘である。 大切なのは、社会的地位ではない。学歴でもない。人間として光っているかどうか。「力」を出せるかどうかである。 その「力」の根源は、「自覚」である。 わが使命を誇らかに確信しきることである。ひたむきに「使命」に生きる人は、大いなる「知恵」がわき、「勇気」がわき、「境涯」が開け、「前途」が開ける。 仏法を根本にした使命感であれば、わきいずる「力」は無限である。 有名なオルレアン城の戦いでのこと。城は敵に完全に囲まれ、そこにジャンヌ・ダルクが到着した。 城主に、なぜ戦わないのかとつめよるジャンヌ。 城主は「私より偉い人の命令なのです」と、責任逃れをした。 女子部が、腰の重い壮年部を叱咤激励しているようなシーンである。 乙女は言い放つ。 「臆病者は、一万人の兵隊があっても、城から打って出ないでしょう!」――女性の純粋な魂の叫びは強い。 乙女に臆病者と言われ、城主も腹を立てた。 「それなら、あなたの軍で、この囲みを破れるのか。わずか千人足らずの兵隊で――」と言う。 ジャンヌは答えた。 「わずか千人足らずですって?あなたは、敵の強さばかり口にされる。たしかに、向こうは強い『力』をもっていましょう。私たちを脅かそうと武器ををちらつかせてもいるでしょう。しかし、あなたは肝心なことを忘れておられる」 「肝心なこと?」 「そうです。私たちは、もう一人、絶大なる力をもって、つねに私たちに勝利をさずけてくださる味方がおられる。その尊き力を忘れてはいませんか!」 乙女の声は凛として城内に響いた。 「私たちは、自分たちだけで戦うのではありません。私たちは、神とともにあるのです。正義とともにあるのです。私の率いる軍隊は、神の軍勢であり、正義の使徒です。明日は、見事にイギリス軍を打ち破って、城を解放してみせましょう。神を信ずるということは、勝利を信ずるということです」 外道ではあるが、彼女の、この「確信」が、城主を動かし、城兵を動かし、歴史を動かした。 「一人」の力は偉大である。「一人立った」人の一念の力は、不可能も可能にする。 彼女の「確信」は、人々に伝染し、皆が、「われわれには、絶大な味方あり」「われらは正義とともにあり」と、勇気百倍した。 勇気は伝染する。恐怖も伝染する。ゆえに「一人」が大事である。ゆえに「指導者」の勇気が勝利のカギとなる。 そして、このオルレアン城の勝利を境に、フランスは大攻勢に転じ、ついに奪われた国土を回復した。 ジャンヌ・ダルクの勝利は、一人の女性の「確信」の一念が、いわば核爆発のように力を発揮した実例である。 私どもはつねに、「御本仏」とともにある。「三世十方の諸仏」とともにある。 「諸天」とともにあり、絶対の「正義」とともにある。 これ以上の絶大な味方はありえない。この「大確信」が《勝利の歴史》の扉を必ずや開いていく。 ジャンヌの旗は「百合の旗」であった。また学会婦人部のシンボルは「白百合」である。 最強軍団・婦人部をはじめとして、私どもは、仏勅実現のための仏の軍勢である。「御本仏とともにある」仏の勝利軍である。 この確信と誇りに立つ時、私どもの前には何の迷いもない。ためらいもない。落胆もない。 ただ勇気、ただ喜び、ただ希望の人生である。 目の前が青き大空のごとく開けてくる。その「一念の転換」の力を強く申し上げ、本日の研修としたい。 【北海道夏季研修会 平成三年八月十七日(大作全集七十八巻)】 Tweet