投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年 7月13日(水)02時14分19秒
「せいめいのせいき」へのこうさつ、さくしゃ らほつ
「ぎょうどうふぎょうどう」<じょう>
ろくどうの「さんがい」をはなれて「しせい」にむかうのか、それとも「さんがい」にしゅうしするのか。
このじゅうようなぶんぎてんにさしかかっているようです。「さんがい」とはむろん、よくかい、しきかい、むしきかいのろくどうりんねです。いきづまります。そうぶってんはおしえます。「しせい」といっても、「いちぶつじょう」です。それが、ほけきょう、なかんづくにちれんだいしょうにんのぶっぽうです。

こんなおおせがあります。
「じっかいのしゅじょうのことをとくなりぎょうどうはしせい・ふぎょうどうはろくどうなり、くぎょうどうはしゅらにんてん・ふぎょうどうはさんあくどうなり、しょせんまっぽうにはいつてはほっけのぎょうじゃはぎょうどうなりほうぼうのものはふぎょうどうなり、どうとはほけきょうなり、てんだいく「ぶつどうとはべっしていまのきょうをさす」と、いまにちれんとうのたぐいなむみょうほうれんげきょうととなえたてまつるはぎょうどうなりとなえざるはふぎょうどうなりうんぬん」おんぎくでんP758と。
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$$ ぎょうどうこそぶつどうのほんすじ!
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ほけきょうじゅりょうほんだい16の「ぎょうどうふぎょうどう」をだいしょうにんのおたちばからのべられたものです。
①「ぎょうどうはしせい・ふぎょうどうはろくどうなり」
②「ぎょうどうはしゅらじんてん・ふぎょうどうはさんあくどうなり」
③「ほっけのぎょうじゃはぎょうどうなりほうぼうのものはふぎょうどうなり、どうとはほけきょうなり」
④「なむみょうほうれんげきょうととなえたてまつるはぎょうどうなりとなえざるはふぎょうどうなり」
とよんだんにたてわけられてのべられていることがわかります。

「またむずかしいものをひっぱりだしてきて!」なんておっしゃるかもしれませんが、だいじなことなのです。
いまのそうかがっかいのもんだいも、にほんも、せかいもぶちあたっているもんだいをもひもとくだいしょうにんのおおせだとおもうのです。

にばんめに「さんあくどう」ということばがはいっています。そのはんたいが「さんぜんどう」です。「しゅら」は「しあくしゅ」にもはいるのですが、ここでは、「ぎょうどう」にぶるいされています。ぎょうどうですから「ぜんどう」となります。
「しゅら」からあきらかに「たしゃ」がはいってきます。
「たしゃ」をおいおとそうすれば「しあくしゅ」です。「たしゃ」をしのぐようにじしんをみがけば「さんぜんどう」となります。したがって、「さんぜんどう」の「にんかい」も、なにもしないで、ただ「へいおん」になることではありません。「たしゃ」のしあわせのことをもかんがえるから、じたどもの「へいおん」とみるべきなのでしょう。それがしんの「あんのん」です。ほけきょうのちえにもありました。

「てんかい」もおなじです。じたどもの「よろこび」とするからこそ、しんの「てんかい」といえるのでしょう。さきほどのおんふみにひきつづいて、
「・よろこぶはてん・ひらかなるはにんなり」どうとおっしゃっておられます。

ここではしょうさいをはぶきますが、「ぎょうどう・ふぎょうどう」というのは「そうたい」です。「しせい」と「ろくどう」のそうたい、「しゅらにんてん」と「さんあくどう」のそうたい、「ほっけのぎょうじゃ」と「ほうぼうのもの」とのそうたい、そして「なむみょうほうれんげきょうととなえたてまつる」と「となえざる」のそうたいです。
「しせいとろくどう」のそうたいというのは、ぶつどうをめざすのか、めざさないのかということですから「ないげそうたい」とかんがえられます。「さんぜんどうとさんあくどう」のそうたいは「ぜん・だいぜん」をめざすかめざさないかですから「だいしょう・ごんじつそうたい」ととらえられます。そのうえにたって「ほっけのぎょうじゃとほうぼうのもの」は「ほんしゃくそうたい」とそうていできます。
そして、「なむみょうほうれんげきょうととなえたてまつるととなえざる」は「ほんもんもんてい」と「ほんもんもんじょう」の「しゅだつそうたい」ととらえられます。つまりこれは「ごじゅうのそうたい」です。

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$$ せいめいのきどうじくはもちろん「」!
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にんげんのきどうじく、せいめいのきどうじくはもちろん「ほっしょう」です。「みょうほうれんげきょう」というなまえもあります。「ほっしょう」は「ぶっしょう」、「ほとけ」は「せいめい」のことですから、ここのところのとうこうとはそういしてしまいますが、「ほっしょう」はたんじゅんに「せいめいりょく」といっていいのかもしれません。ちゅうごくには「のうげん」ということばがありました。ようはエネルギーたいのことです。
「ほっしょう」はにちじょう、わたしたちがにんしきするのは、そのへんかそうとしてのじっかいです。
それは、みょうほうれんげきょうのへんかそうです。
「せい」あるために、みょうほうれんげきょうがえほう《かんきょう》とのあいだでこしらえたへんそうです。
そのぜんぼうをてんだいちぎたいしがいちねんさんぜんとしてたいけいかしました。

でも、どうでしょう、しぜんじょうたいでにんげんは、そのじっかいのなかでも「むさぼり」の「がき」をちゅうしんとしてはいないでしょうか。「よくぼう」といってもいいかもしれません。「よくぼう」はげんだいでは、ごしんの「じこぼうえい」、さいぼういじの「いんしょく」、じこさいせいの「せいしょくせいよく」がさんだいよくぼうといいます。すべて「せいめいいじ」のためです。あののうかがくしゃのなかののぶこさんは、このよになまをうけた「ミッション《しめい》」なんていっています。
「よくぼう」をさえぎられるから、そのふまんから「ぐち」をもらし、ときおり、ふまんばくはつの「いかり」にてんずることもあります。ふまんをかさねてがくしゅうすることにより、こしたん々たんの「てんごく」となることもあります。もしかすると、「せいめい」といってもこのよでは、この「ほっしょう」と「せい」をいとなむための「よくぼう」だけしかないのかもしれません。

もちろん、じっかいかっかいにがいとうするほうかいはあるわけで、いちねんさんぜんそのものをひていするものではありません。むしろ、そのいちねんさんぜんのこうぞうというか、くみたてにたちいるものです。

「よくぼう」は「せい」とはきってもきりはなせません。だが、「ほしん」です。「がよく」です。「がよく」はたをききにおいやるばかりか、そのはんてんとしてじしんをもあやうくするしゅくめいをかかえています。
いま、せかいも、にほんも、あらゆるそしき、だんたいがこの「がよく」のわなにおちいっていはしまいか、とみるわけです。

さんどく・しあくについては、だいしょうにんがめいかくにおっしゃっておられます。
「いかるはじごく・むさぼるはがき・おろかはちくしょう・てんごくなるはしゅら」にょらいめつごごごひゃくさいはじむかんじんのほんぞんしょうP241と。
その「むさぼり」の“ちゅうしん”にあるのは「ほっしょう」です。というより、ほっしょうのへんかそうです。
こんなおおせがあります。
「がきはごうがをひとみるひとはみずとみるてんにんはかんろとみるみずはひとつなれどもかほうにしたがつてべつべつなり、このきょうのもんじはもうがんのものはこれをみず、にくがんのものはもんじとみるにじようはこくうとみるぼさつはむりょうのほうもんとみる、ほとけはいちいちのもんじをこんじきのしゃくそんとごらんあるべきなりそくじぶつしんとはこれなり」そやにゅうどうどのごへんじP1025。

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$$ がきはごうがをひとみる!
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おなじようなおおせのないようがほかにもあります。
「がきはごうがをひとみる・ひとはみずとみ・てんにんはかんろとみる、みずはひとつなれどもかほうにしたがつてみるところかくべつなり、このほけきょうのもんじはもうもくのものはこれをみずにくがんはくろいろとみるじじょうはこくうとみ・ぼさつはしゅじゅのいろとみ・ふつしゅ・じゆんじゆくせるひとはほとけとみたてまつる」ほうれんしょうP1050。
「がきはごうがをひとみる」と。

なぜ、「がき」なのでしょう。ちくしょうやしゅらではないのでしょうかこのこうのないようは、いぜんにものべました。
こんなおおせがあります。
「さいかとはちぼんのうなりぎゆうすいとはとんぼんのうなりじゆうしんとはじんぼんのうなりせつじきとはまんぼんのうなり、このしたにはちしゆのきゆうじこれありこのほかにみようほうれんげきようのでんじゆこれなきなり」おんぎくでんP745。
こころの「かわき」がごうがの「みず」さえ「ひ」とにんしきさせてしまうのです。

「ぎようどうふぎょうどう」<ちゆう> とうこうしや:らはつ
「せいめいのせいき」へのこうさつ
「ぎようどうふぎょうどう」<なか>
がきの「むさぼり」がみたされないことからくる「かわき」なのではないのでしょうか。くめどもくめども、あくところをしらない「かわき」からくるものが「がき」ではないかということです。そそぎこむものとは、たとえばみずです。
ほけきようの「はちしゆのきゆうじ」の「とんぼんのう」に「ぎゆうすい」があてられているのは、このいみからともかんがえられます。
「うえ」は「かわき」となって、「がき」のほうかいをつくります。せんちゆう、せんごがそうでした。

この「かわき」がおこっているときに、なにをいってもつうじません。いけだせんせいがだいさんだいかいちようにしゆうにんされたときに、「じしんがおきませんように」とともに、「ほうさくでありますように」といのられたというのも、そのゆえんだったのでしょう。

「がき」の「むさぼり」のじゆうそくは「かわき」のじゆうそくでしょうが、「よろこび」とはいえ、まだ「てんかい」とはいえないのではないでしょうか。「かわき」のとりあえずのほじゆうをなすだけです。ほじゆうがおさまればば、すぐさま「かわき」がさいはつします。「むさぼり」とは、あくなき「かわき」のくりかえしであるやにもしれません。「どんよく」だけのぶんめいが、いつしかいきづまりになることはおおくのひとがにんしきしています。

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$$ かしこきをにんといいはかなきをちくといふ!
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だいしようにんは「すしゆんてんのうごしよ」で、「かしこきをひとといいはかなきをちくといふ」すしゆんてんのうごしよP1174とおおせです。ひととちくしようのたいおうです。
ひととちくしようとのちがいは、「かしこい」か、「おろか」かのいつてんだということです。だいしようにんはおなじ「すしゆんてんのうごしよ」で、ふきようぼさつがひとをうやまったことをあげて、たしやとのにんげんかんけいにめざめおろかさをこくふくしたところに、「ひとのふるまい」があるともうされています。
「かしこきをにんといいはかなきをちくといふ」の「はかなき」というのは「はかなき」ともかきます。それは、きちやくてんがない、もと《いのち》づくものがないこといみします。しゆつぱつてんがなく、さいしゆうもくてきがないということでもあります。

またこんなおおせもあります。
「じんどうとはほうおんきようにいわく『さんきごかいはひとにうまる』もん」じゆうほうかいみよういんがしようP430。
「さんき」とは「ぶつぽうそう」です。「ほとけ」と「ほう」と「そうぎや」にきすことをいいます。「ごかい」とは、ふせつしよう、ふじやいん、ふいんしゆ、ふちゆうとう、ふもうごのことです。このごかいはじゆきようにたいおうすると、じん、ぎ、れい、ち、しんとそうたいします。
つまりこれは、「じんどう」が「さんきごかい」をたもつところからはじまるということになるということをいみします。

ほけきようじゆりようほんだいじゆうろくに「ほういつじやくごよく だおあくどうちゆう」ほういつにしてごよくにじやくし、あくどうのちゆうにおちるとあります。
きりすときようでいえば「げんざい」ということになるでしょうか。
とくしんをたもつにんげんは、ほうっておけば「ごよく」のなすがままになる、あくどうにおちる、だから、「ごかい」がひつようである、といえるのでしょう。
ひとをころしてはならない、ほういつになってしまってもならない、よこしまなこうどうをしてはならない、ぼんのうにしはいされてしまってはならない、しんらいをそこねてはならない、というのが「ごかい」です。ちくしんの「じぶん」にまけてはならない、ということです。

「こころのしとはなるともこころをしとせざれとはろくはらみつきようのもんぞかし」そやにゆうどうどのごへんじP1025
とおなじことです。

「ありのまま」や、「むささんじん」といっても、ほんらい、せいめいのはつどうせいそのものの「ほっしょう」は、そのままでははつどうすることはありません。そのほっしょうにすでに「いみ」のついた「きゆうかい」や「ごよく」がはつどうするだけです。「むささんじん」とするためには、むしろ「かい」というきせいがふかけつということにならないでしょうか。
ごくらくじからのしゆつかでかまくらごしよまでしようしつしてしまったりようかぼう《りようかん》をせめたおおせがあります。
「なはじかいと、きこゆれども、じつにはほういつなるか」しもやまごしようそくP350。
「かい」のはんたいは「ほういつ」です。

だが「かい」といっても、ほけきようにいたっては、「じゆじそくじかい」が、そのほんぎです。
「まつだいにおいて、よんじゆうよねんの、じかいなし、ただほけきようをたもつをじかいとなす」しゆごこつかろんP47。
「このほけきようのほんもんのかんじん・みようほうれんげきようはさんぜのしよぶつのまんぎようばんぜんのくどくをあつめてごじとなせり、このごじのうちにあにまんかいのくどくをおさめざらんや、ただしこのぐそくのみようかいはいちどもつてのち・ぎようじややぶらんとすれどやぶれずこれをこんごうほうきかいとやもうしけん、なんどたつべし、さんぜのしよぶつはこのかいをたもつてほつしん・ほうしん・おうじんなんどいずれもむしむしゆうのほとけにならせたまふ」きようぎようしようごしよP1282。

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$$ まんしんのどれいとなり、あくのとりこになってしまった!
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またこんなおおせもあります。
「それいつさいしゆじようのそんけいすべきものさんありいわゆるしゆししんこれなり、またしゆうがくすべきものさんあり、いわゆるじゆげないこれなり。じゆけにはさんこう・ごてい・さんおう・これらをてんそんとごうすしよしんのとうもく・ばんみんのきようりようなり、さんこういぜんはちちをしらずひとみなきんじゆうにどうずごていいごはふぼをわきまえてこうをいたす」かいもくしようP186。
「にんかいのじようけん」は、こうようからはじまる、「とく」をまなぶところからはじまるというのです。

「にんかい」について「ほけきようのちえ」ではこうおおせです。

「さいとう そこで『にんかい』ですが、さきほどしゆらが『しようたのねん』であるのにたいして、にんかいは『じぶんにかつ』きようがいであるといわれ、パッとひらけるおもいがしました。
めいよかいちよう せいかくには『じぶんにかつ』きようがいのだいいつぽが『にんかい』です。そのさいこうのだんかいがぼさつかいでありぶつかいです。だいしようにんはぶつてんをひいて『さんきごかいはひとにうまる』ごしよ430とされている。
さんき〈ほとけへのきえ・ほうへのきえ・そうぎやしゆぎようしやのそしきへのきえ〉も、ごかいふせつしようかい、ふじやいんかい、ふいんしゆかい、ふちゆうとうかい、ふもうごかいも、ただしいじんせいの『きどう』をあゆんでいこうとするどりよくです。『きどう』をあゆむことによって、じぶんのせいめいがあんていしてくる。『まん』のしんのように、ゆるがなくなるのです。
さんきは、ひろげていえばしんこうしんです。しゆらは、じぶんよりもすぐれたものはみとめなかった。こうべをたれなかった。しかし、そうすることによって、けつきよく、まんしんのどれいとなり、あくのとりこになってしまった。
『にんかい』は、はんたいに、じぶんをこえたおおいなるそんざいをいけいし、ぜんせいめいをあげてそんけいすることによって、かえってじぶんじしんをゆたかにするのです。
ごかいというのは、せいめいをそとがわからしばるものではなく、ないめんかされたきはんであり、ちかいであり、じんせいのきどうといってよい。ごかいをやぶればくるしみのかほうがあるとしって、ちせいでじぶんでじぶんをコントロールできるのが『にんかい』です」ほけきようのちえ④P155~156。
「にんかい」は、ぶつどうへのじようけんですが、「しせい」と「ぶつかい」は、「にんげん」のじようけんといえるのではないでしょうか。

さらに、「にんかい」のきようがいについてかんじんのほんぞんしようの「たいらかなるはにんなり」ごしよ241をあげられ、その「たいらか」のいみについてげんきゆうされています。

「えんどう 「たいらかなる…」のところで、いつもおもいうかぶしようせつがあります。よしかわえいじしの『しん・へいけものがたり』のラストシーンです。
げんぺいのせんらんのはんせいきをみつづけてきたしよみん…あべまとりとつま・よもぎのふたりが、よしのやまのさくらをみながらかこをふりかえり、しみじみこうふくをかみしめてかたりあうばめんです。
『なにがにんげんの、こうふくかといえば、つきつめたところ、まあこのへんが、にんげんのたどりつける、いちばんのこうふくだろうよ』
『それなのになんで、ひとはみな、いかいやけんりよくとかを、あんなにまで、ちをながしてあらそうのでしょう。』…。
『ひとおのおのてんぶんと、それのいつしようがせけんではたす、しよくやらしめいのちがいはどうもぜひがない。が、そのしよくになりきっているものは、すべてりつぱだ。なんの、にんげんとしてかわりがあろう』
せんらんのなかをふしぎにもいきのびてきた、へいぼんなろうふうふのすがた…、これはまさに『にんかい』ではないかとおもいます。
めいよかいちよう ゆうめいなシーンだね。へいぼんかもしれないが、そこにはにんげんとしてのりつぱなかがやきがある。
『しゆら』のせいめいは『いかい』や『けんりよく』をもとめてあらそい、ちをながし、きずつけあっている。
しかし、ふたりは、じぶんじしんにいきた。ひととくらべるのではなく、じぶんらしく、じぶんのみちをまつとうした。その『きどう』がしゆらのせそうのなかでも、にんかいのあんしんをもたらしたといえる。あんしんといい、『たいらか』といっても、けつしてどりよくなくしてえられるのではない。どりよくしなければ、かんきようにそまってしまうものです」ほけきようのちえ④P157~158。

「あんしんといい、『たいらか』といっても、けつしてどりよくなくしてえられるのではない」とのおおせがつよくひびいてきます。