2016年7月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月27日(水)08時46分20秒 通報 さて、大聖人は 「大乗教を信奉している人々でも、それが劣っているにもかかわらず、 我が宗は法華経よりも勝れているなどと言う人たちが多く出てきている。 もし権力者がこの誤りを用いれば、これによって三毒・八万四千の病(伝染病など)が起こる。 大乗教の人々が自らの依経をもって治そうとしても、かえって病はますます倍増し悪化する。 また彼らが法華経で治療にあたっても功力は現れない。なぜかといえば、 経は勝れてはいるが〝行者が誤った者〟だからである(趣意)」(御書九九六頁) と述べています。 信心していても「身の病・心の病」で何年も苦しんでいる人がいます。可哀そうでならない。 しかし、一度ゆっくり立ち止まって上記の御文を自分に当てはめて考えてみてはどうでしょうか。 同志が御書や信仰体験(病気)を通してアドバイスした話を しっかり聞いて、その通りに実践しているだろうか。 自我意識にとらわれ、利己主義になっていないだろうか。 御書根本・池田先生根本で信心している同志を軽んじてはいないだろうか。 我流の信心をしていないだろうか。 誰のせいでもありません。苦しんでいるのは自分自身です。 自分自身が自らの行動で治していくしかないのです。 まずそう決意して、医師に依存するのではなく、 医師の助けをかりながら病気と向き合うのが、もっとも健全なのだと思います。 Tweet