投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月27日(水)08時45分6秒   通報
それらを簡単にまとめると、

そもそも生命の表層部に現れる煩悩(三毒)は、浅く弱いものもあれば、
心の奥深くから強烈に湧き起ってくるものもあります。

仏法はそうした人々の〝煩悩(三毒)〟の浅深に応じて、
浅い法から深い法へと重々の法門を立て分けて説いたのです。

浅い煩悩(三毒)ならば、浅い法でも治療できますが、
深層部から湧き出てきた深い煩悩(三毒)ならば、深く勝れた法でなければ治すことはできません。

たとえば、社会的・心理的ストレスによって起こる〝怒りや欲望〟が原因で、
心の調和が乱れたとしても、これらはまだ心の深層部までは及んでいませんから、

小乗のような劣った法でも調整し快復させることができます。

ただし、小乗教の浅く劣った教えに「執着」して大乗教に背くと、
その心の煩悩(三毒)が原因となって、さらに治療がむずかしい難病(心の病)を生ずるのです。

小乗教に執着する人に起こる特有の心の病は、善良な人とは比較にならないほど

強い自我意識にとらわれた〝利己主義〟です。

これによって出てくる煩悩(三毒)は、
社会的・心理的ストレスによって起こる煩悩(三毒)よりも一段と強烈なものです。

たとえば、他者への瞋りは心身症(皮膚病・胃腸障害など)を引き起こします。

社会的・心理的ストレスによって起こる瞋り(心身症)はまだ根が浅いですが、
小乗教に執着した人が起こす瞋り(心身症)は根が深いのです。

この場合、どちらも病気(心身症)としては同じですが、病気(心身症)を引き起こしている

〝瞋り〟が、何を対象とし、生命のいかなる深さから出てきているかによって、

治療の難易度は全く違ってくるのです。

つまり、小乗教に執着することによって起こった二乗の心身症は、大乗教によって
利己主義を打ち破り、利他の精神に転換させない限り治すことはできないということです。