2016年7月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月27日(水)08時44分28秒 通報 さらに大聖人は 「身の病は医学によって治せるが、心の病は仏法でなければ治せない。 その理由は、心の病は〝三毒〟を基本として起こる病気だからである(趣意)」(同頁) と述べました。 三毒とは〝貪・瞋・愚(とん・じん・ち)〟の三種類のことですが、 具体的に言うと 「貪」とはむさぼるように愛する・溺愛・偏頗な愛情という意味です。 「瞋」とは瞋恚(しんに)ともいい、いかりのことです。 「愚」とは愚癡(ぐち)・おろか・無智という意味です。 つまり、人間の心のなかに渦巻く〝三毒〟をはじめとするさまざまな煩悩により 〝心の世界〟の調和が乱れることによって心の病が起こるということです。 たとえば、親が偏った愛情や溺愛で子供を育てると大抵の場合、 その子供はわがままに育ち、成長すると親に反抗するか、もしくは家庭内暴力に発展するか、 もしくは社会に適応できない大人に育つ可能性があります。 親は親で無智と愚かさゆえに、親自身がそういうふうに育てたとは思わず、 子供に対して怒り、グチり、自分の思い通りにならなくなって、 いつしか「うつ状態」に陥って苦悩する――。これなどは典型的な三毒による心の病です。 要するに〝心の病〟とは、生命の濁りによって引き起こす病であるとともに、 生命の濁りが原因となって身の病も起こる場合があるのです。 そして心の病が原因となって起こる身の病は、単に身体の治療だけでは 根本的解決にはならず、他の病気と同じ症状でも治りにくい状態が続くのです。 仏法では心の領域は広大であり、空間的にも時間的にも宇宙大であると説きます。 大聖人はこのような広大な領域をもつ心の病には「重々に浅深・勝劣に分かれている」(同頁) と述べ、五重の相対を通して心の病の浅深・勝劣を論じました。 Tweet