投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月26日(火)20時51分52秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-10-25 【全国代表者会議】

『戸田先生』
★女子部が教学を根幹に一段と強くなることこそ広宣流布の希望の花だ!

●「幸福の道」を生き生きと!
一、尊き女子部の友の活躍を讃え、三首の和歌を詠(よ)ませていただいた。ここで紹介したい。

・美しき  乙女の広布に  走りゆく 大道(みち)は幸福 仏になる道
・私は   この道 走らむ 戦わむ   仏になりゆく 舞台も楽しく
・断固して 諸天は護らむ  皆さまを 大聖人も  微笑み讃えむ

全国、全世界の広宣流布の若き指導者の皆さまに贈りたい(大拍手)。
一、戸田先生は言われた。
「女子部が教学を根幹に、一段と強くなることこそ、広宣流布の希望の花である」
教学が大事だ。教学を真剣に学んでいけば、確固たる哲学が身につく。見事な人格を築いていくことができる。
そうすれば人からも尊敬される。悪い人間にだまされたり、バカにされることもない。
女子部国際部の友が作成した箴言集には、次の言葉も収められている。
「女性たちが主張の声を発していくことこれが変化を確保する唯一の道である」
これは、アフリカの女性人権活動家であるメァザ・アシェナフィ氏の訴えだ。
女性が声を上げることだ。それも、小さな声ではない。大きな声を上げていくことだ。
それが社会を変革していくことになる。
また、女性がはつらつとしていれば、周りも元気になる。明るくなる。
19世紀から20世紀初頭にかけて、女性の権利向上に尽力したアメリカのメアリー・シーモア・ハウエルは綴った。
「今日の世界の運命は、女性たちの心と頭脳にかかっている。この世界は、女性たちが進歩を遂げる足取りよりも速く進むことはできないのだ」
その通りだ。21世紀の今、世界における女性の役割の重要性は、いや増して高まっている。
どうか、女子部、そして婦人部の皆さまは、“女性の世紀”の偉大なリーダーとして、朗らかに、生き生きと前進していっていただきたい(大拍手)。

●嫉妬は悪の元凶(げんきょう)
一、16、17世紀に活躍したスペインの作家セルバンテスは綴っている。
「おお、数限りない悪の元凶にして、もろもろの美徳を蝕(むしば)む害虫たる嫉妬よ!」
「嫉妬というやつは、ただただ不快、恨み、いらだちしかもたらさないのじゃ」(牛島信明訳『新訳ドン・キホーテ』岩波書店)
嫉妬というものは本当に怖い。人間を根本から狂わせる。
27年前、私が第3代会長を辞任したのも、どす黒い嫉妬の陰謀のゆえであった。
つまり、私に焼きもちを焼いた宗門と反逆者が結託し、陰で密談を重ねて、私を追い落としにかかったのである。
あまりにも恩知らずな畜生のごとき所業(しょぎょう)であった。
辞(や)めろと言うならば、辞めても構わない。
しかし、大切な学会員を、だれが守るのか。
仏意仏勅の広宣流布を、だれが成し遂げるのか。
私に代わって、だれが、それをやってくれるというのか。
中国の大文豪・魯迅先生は叫んだ。
「所詮、いつも人を苦しめ、こき使う英雄気取りたちは、少しもその民の苦しみや辛さを理解できない人間なのである」(『編年体魯迅著作全集六』福建教育出版社から)
人の上に立って、ただ威張りたいだけ、私利私欲を貪(むさぼ)りたいだけそういう連中の非道な迫害を一身に受けながら、私は、会長辞任後も、盾になり、屋根になって、愛する学会を守り抜いてきた。
学会本部に私の居場所はなく、小さな管理者室で友への激励のペンを執り続けた日々もあった。それが学会と私の真実の歴史である。

●なぜ五老僧は背いたのか?
一、「なぜ、五老僧は大聖人の御心に背いてしまったのか」との質問に答えて、戸田先生は、こう指導されたことがある。
「第一に五老僧は、大聖人のおそばでの常随給仕(じょうずいきゅうじ)が足りなかった。ゆえに、師弟としての深い境地の一致に欠けたからだ」
結局は、「師匠が中心」ではなく、「自分が中心」であったのである。
仏法の真髄の継承は、弟子の「常随給仕」、すなわち身・口・意の三業(しん・く・い のさんごう)をもって、広宣流布の師匠に「信伏随従(しんぷくずいじゅう)」することによって、成し遂げられてきた。
戸田先生は、牧口先生に常随給仕された。牢獄にまで、お供されたのである。
私は、戸田先生に常随給仕した。
私が、どれほどの思いで、戸田先生にお仕えしたか。学会の土台をつくったか。
体が弱かった。お金もなかった。そのなかで、全生命をたたきつけて、学会のため、戸田先生のために戦った。
火の中に入って。
氷の中に入って。
ただ一人である。
一人で立ち上がったのである。
そんな私を、諸天善神が見るに見かねて守ってくださった。まさに御仏意(ごぶっち)によって、今の学会ができあがったのである。

一、ただひたすらに、命をかけて、広宣流布のため、学会員の幸福のために戦い抜いたのが学会の三代の会長であった。
本当の学会精神は、牧口先生、戸田先生、そして私の中にある。三代の会長に脈々と流れている。
これからの学会を担(にな)っていく皆さん方は、この「三代の精神」を断じて守り抜いていっていただきたいのだ。
自分のことを言うのはいやだけれど、学会の未来のために、あえて明快に言い残しておきたい。

●永遠不滅の学会をつくれ
一、幹部のための学会ではない。会員のための学会である。
断じて、学会員を苦しませてはいけない。
そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。
「学会の指導と違うではないか! 」「師匠の言っていることに反しているではないか! 」と。
そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。
「下」から「上」を動かしていけ! ── それが牧口先生のご指導であった。
ともあれ、私は、同志の皆さん方から、「素晴らしい創価学会だな」
「学会員で本当に良かったな」と心から喜んで満足してもらえるように、すべてを総仕上げしてまいりたい。
私が先頭に立ってやっていく。ともどもに力を合わせて、永遠不滅の創価学会をつくりあげていこう!(大拍手)

●勝利の9項目
一、戸田先生から教わった、広布と社会の「勝利の9項目」がある。
1、朝早く来た人は、勝ち。  朝の「勢い」が大事である。
昇る朝日のように、真っ暗闇を明るく照らしていくのである。
朝寝坊していて、偉くなった人間は、私が見てきたなかでも、一人もいない。
2、勤行する人、題目をあげる人は、勝ち。
3、健康で生き生きと仕事をする人は、勝ち。頑健になろうと工夫して、すべてを成し遂げようとする人は、勝ち。
4、調和して、チームワークをとれる人は、勝ち。
5、後輩を大事にする人は、勝ち。
6、後輩や女性を、怒鳴ったり、いじめたりする人は、幹部の資格なし。理解し、包容し、励ます人が、勝ち。
7、智慧のある人、力のある人、努力をする人を大事にする人は、勝ち。
8、外交の天才たれ!
いずれの会社でも、団体でも、その人がいれば、勝ち。
9、曖昧(あいまい)な態度は、敗北。『良い人は良い人』、『悪人は悪人』として、見極めていく人が、勝ち。
要領のいい人間、卑怯な人間は、厳しく見ていかなければいけない」
また先生は、「学会幹部の原点」として、「広宣流布のため! 」「師弟不二の勝利のため! 」「会員の幸せのため! 」と言っておられた。
「学会幹部の精神」として、次のようにもおっしゃっていた。
「ただただ『誠実』の二字で『師匠にお仕えする』『会員を護る』。
そして、『師子王の心』で『敵と戦う』」
さらに、「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」「死身弘法」こそが、「広布の指導者の一念」であらねばならないと強調されていた。

●幹部は偉ぶるな
一、戸田先生は、最高幹部に対して言われていた。
「何でも、私に聞きなさい。お前たちが知ったかぶりをして、『(戸田先生に)何も聞かなくともよい』という顔をしていると、後輩が伸びなくなるよ」
また、こうも厳しく言われた。
「自分には何の力もないくせに、車で迎えられたり、食事をごちそうになって平気でいるなどというのは、とんでもない心得違いだ。学会には、堕落した人間はいらない」
幹部は、断じて偉ぶってはならない。
これまで全国、全世界を回ってきたが、私は全部、真剣だった。
家庭は、決して経済的に豊かではなかった。働きに働き、すべてを捧げて、同志を守り、学会を支えた。
会長になってからも、当時住んでいた小林町(大田区)の自宅は質素なままであった。
訪れた人が、“まさかここではないだろう”と、わが家の前を通り過ぎてしまうこともあった。
一切の私心を交えず、ひたすら広布のために戦ってきた。

■ 一、戸田先生は若き日の手記に、“「艱難(かんなん)汝を玉にす」という。苦しみや難儀を避けてはならない”と綴られた。
朗らかに進もう!
「勇気」の人は、朗らかである。
「信念」の人は、愉快である。
きょう集(つど)われたなかには、ご家族が病気を患っておられる方もいると思う。
私は日々、皆さんの健康と勝利を祈っている。
そして、皆さんのお母さま、お父さまの健康と勝利を、ご家族全員の健康と勝利を、さらに、皆さんの友人の、そして同志の健康と勝利を、真剣に祈っている。
きょうはありがとう!
ご苦労さま! どうかお体を大切に。
私もお会いしたイギリスのサッチャー首相は、「人生は65歳から始まる」と言った。
年配の方も、よく休息をとりながら、若々しく、ともに生きて生き抜こう! (大拍手)