投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月26日(火)01時21分45秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-9-26 【全国代表幹部協議会】

■ 一、お忙しい中、ご苦労さま!
きょうは広布の本陣のリーダーが集っている。
私たちは、広宣流布の大目的に進みゆく同志であり、「家族」である。
上も下もない。全員が一体となって、勝利のために進んでいく。そのための会議だ。
だからこそ私は、真実を語りたい。未来のために、言うべきことを言い残しておきたいのである(大拍手)。

一、広宣流布のために戦ってくださる同志ほど、尊いものはない。
あらゆる労苦をともにし、広布の大理想に向かって、進んでいく。わが人生を捧げていく。
こうした方々こそ、根本的に大事な存在だ。大切な同志の皆さまが、元気で、意気軒高であれば、私はほかに何もいらない。
なかんずく、青年こそ希望だ。青年を軽んじたり、アゴで使うような人間がいれば、私が許さない。
ともあれ、学会のため、広宣流布のために生き抜く功徳は無量である。本当に偉大な使命を持った皆さまなのである。
どうか、そのことを忘れないでいただきたい。
一人も残らず一騎当千の大指導者になっていただきたい。

●広宣流布の完壁な基盤を
一、私はこれまで、あらゆる次元から学会を守り、支えてきた。,
表に見えることだけではない。時には目に見えない部分で、学会が、そして尊き同志が守られ、安心して戦いを進めていけるように、あらゆる手を打ってきた。
世界の指導者や識者とも随分、お会いした。学者や経済人とも数多く、語り合った。友情のネットワークを築いてきた。
平和のため、文化・教育交流のため、幾重にも手を尽くしてきた。
こうした行動の積み重ねがあって、今日の学会の世界的発展がある。全世界からの深い信頼がある。
とくに、未来を担う皆さんは、この事実を簡単に考えてはならない。忘れてはならない。

●本物の実力を
一、さらに戸田先生のご指導を紹介したい。
「人間の偉さは、地位や肩書にあるのではない。本当の『実力』があるかどうかで決まる」
「ダイヤも、ガラス玉も、外見は同じだ。しかし、ためせば違いがわかる。
人間も、ダイヤのごとく、強靭(きょうじん)に鍛えてもらったほうが得である」
本物の実力をつけるために、青年時代に、徹底して自身を鍛えていくことだ。
先生は、こうも言われた。
「たとえ北海道、また九州の果てなりとも、学会の聖業(せいぎょう)に敵対するものは、青年部が、破邪顕正の剣をもって、必ず討ち取れ!」
民衆を苦しめる悪とは、断じて戦え! 言論の力で打ち破れ! ── これが戸田先生の叫びであった。
青年部の諸君、一緒に戦おう! 〈会場から「ハイ!」との元気な返事が〉

●リーダーは最前線に!
一、戸田先生は、幹部に対して厳しかった。
「その人物を見る前に、まず地位とか役職とかによって、こちらから決めてかかってしまう。そうして一つの印象を作ってはいけない。また、作らせてもいけない」
「こうやったら皆が動くだろうとか、こうやったら自分が会員から信用を受けるだろうとかいう作為は、創価学会においては絶対ないのです」
その通りである。
幹部は、温かい言葉で皆を包む「慈愛」がなければならない。
決して偉ぶってはいけない。
なかんずく、皆に仕え、皆のために犠牲になるのが最高幹部だ。そう決めて戦うのが、本当の信心である。
一生懸命に戦っている同志のもとへ、最前線へ行く。
「状況はどうですか」
「大変ですね」「よろしく頼みます」と、声をかけ、誠実に耳を傾け、謙虚に頭を下げるのだ。
自分のために皆を利用してはならない。目的は、尊い会員の幸福である。自分は、そのための手段なのである。
権力者のような冷酷無残な心は、全部、賢明な民衆に見破られる。
インド独立の英雄ガンジーは訴えた。
「私は底から上へ向かって働きかけようとしているのだ」(ルイス・フィッシャー著、古賀勝朗訳『ガンジー』紀伊國屋書店)
「下から上へ」と変えていくのは、牧口先生の信念でもあった。
正義を叫ぶのに、遠慮はいらない。

一、戸田先生はおっしゃっていた。
「組織の第一線を汗まみれになって駆け巡り、同志を励ましていくなかで、本当の信心、本当の学会を肌身で知ることができる」
これをやってきたから、学会には本当の人材ができた。
格好や形式に流されてはならない。
また、肝心な時に遅れてきた幹部に対して、先生は「学会の仕事は、戸田が命をかけた大仕事だ。大事の戦に、師匠に遅れるとは何事だ! 」と叱られたことがあった。
この精神を、覚えておかねばならない。
ある時には、幹部に対して「どんな末端で事が起こっても、本部は必ず助けにいく、これは当たり前だ」と叫ばれた。
いずれも、今に通じる重要な指導であり、心に刻んでまいりたい。

●戸田先生の入信
一、晩年、戸田先生はしみじみと言われた。
「私の数十年の信仰歴というものは、いかなる厳しい秋霜の渦中にあっても、学会の建設一筋に生き抜いてきた」と。
戸田先生が、師匠の牧口先生に続いて、日蓮大聖人の仏法に帰依したのは、昭和3年。  ちょうど、私が生まれた年である。
軍国日本が、泥沼の戦争へと突入しゆく灰色の時代でもあった。

●殉教の師匠
一、戦時中、宗門は、軍部権力に迎合し、大聖人の仏法の魂を売り渡して、邪宗門と化した。
一方、学会は、横暴な軍部に弾圧され、幹部21人が逮捕された。
その中で、牧口先生と戸田先生のお二人以外は、結局、退転してしまった。これが真実の歴史である。
偉大なる牧口先生は、信念を貫いて、牢獄で殉教された。
後継の弟子たる戸田先生は、2年間の獄中闘争を敢然と戦い抜かれ、生きて牢を出られた。
そして、学会の再建に死力を尽くされたのである。
苦闘の2年間を振り返って、戸田先生は言われた。
「広宣流布に、わが身をなげうつことを決めたから、私は勝ったんだ。そう決めたときから、私には、なんの迷いも、恐れもなかった」と。
大聖人の仏法は、牧口先生と戸田先生のお二人によって守られた。
宗門ではない。死をも覚悟した勇敢なる創価の師弟が、仏法の命脈をたもったのである。
ここが急所である。
学会の師弟の「正しき信心」「正義の行動」の中に大聖人の仏法の生命があるのだ。この誉れ高き師弟の道を、皆さん方は、一生涯、突き進んでいっていただきたい(大拍手)。

●師弟の道をまっすぐに
一、若き日より、私は、まっすぐに戸田先生にお仕えした。
戦後、戸田先生が事業に失敗され、莫大な負債を抱えられたときも、私が一人でお守りした。
給料は何カ月も支給されない。持病の肺病にもひどく苦しめられた。
しかし、私は、戸田先生に付き切って戦った。一歩も引かなかった。ひとつひとつ勝利へと転じていった。借金も、すべて返済していった。

一、激動の中、戸田先生が、私のいないところで、学会の首脳を前に落涙されたことがある。
「大作は体が弱いのに、これほどまでに、学会のために、師である私のために、命を削り、言語に絶する奮迅の努力をしてくれた」と。
愛情深い師であった。これが真実の師弟なのである。
思えば、私が戸田先生から、学会の将来のすべてを託されたのも、この最大の苦境の時期であった。
私は、戸田先生から全部、お聞きして、一切を受け継いだ。一言一句たりとも、ゆるがせにしなかった。
また、「戸田大学」での先生の命がけの講義を、日々、わが胸に刻みつけた。
そんな私に戸田先生は「大作は、私の話を海綿のように吸収するな」「鋼の板に刻むように覚えているな」と絶対の信頼を寄せてくださったのである。

●盾となって
一、先生亡き後、第3代会長となった私は、学会のために、一身を捧げてきた。権力の横暴と戦い、悪口罵詈(あっくめり)の中傷・批判を浴びながら、世界に道を開いてきた。
愛する会員一人一人を守るためならば、勇んで盾となり、喜んで犠牲になってきた。
それが牧口先生、戸田先生の精神であるからだ。
それを、自分は一切、難を受けず、傷つかないで、偉ぶって、うまくやろうとする ── そういう幹部が出たならば、学会精神は崩壊してしまう。青年が断固、糾弾(きゅうだん)の声を上げなければならない。
「第3代会長を守れ!
そうすれば、広宣流布は必ずできる ── これが戸田先生の生命の叫びであった。
戸田先生の広布の血脈は、私が受け継いだのである。

●福徳の地盤を
一、大聖人の仏法の目的は、広宣流布であり、立正安国である。
大事なのは、ここにいる皆さん方が、一人でも多くの人と仏縁を結んでいくことである。
仏意仏勅の学会の地盤を深め、広げていくことが、立正安国の土台を築くことである。
その行動は、すべて自身の永遠の福徳の地盤となっていくのだ。
一生懸命にやった分だけ、偉大なる自分が築かれる。広布に戦う功徳は、一家一族をも包み、世々代々にまで伝わっていく。御書に記されている通りである。
ともあれ、楽しく、朗らかに、伸び伸びと、仏法の真実を、わが正義の信念を堂々と語ってまいりたい。
祈り、動き、語る ── それは最高の「生命の運動」である。自分の身の回りから、勇気の対話で信頼と友情を大きく広げてまいりたい。信頼と友情ほど尊い宝はないのである。

一、対話に必要な力とは ── 戸田先生は言われた。
「教養、見識は当然だが、確固とした哲学をもつことだ。そして最大の決め手は人格である」
私たちは、人類を幸福にしゆく最高の生命哲学をもっている。日々の学会活動の中で最高の人格を磨いている。
その誇りを胸に、威風堂々たる史上最高の正義の陣列を、世界を救う平和と人道の大連帯を、ともどもに築いてまいりたい(大拍手)。

■ 一、戸田先生は、“陰謀で学会攻撃をやればやるほど、出るのは罰ばかりだ。何をやっても御本尊の仏力・法力に勝てるものか! ”と叫ばれた。
さらに、「法華経にいわく『還著於本人(げんちゃくおほんにん)』と。この実証を見た会員は一層確信を深めている。これは謗法の恐ろしさを教えているのだ」とも言われた。
〈「還著於本人」は、「還(かえ)って本人に著(つ)きなん」と読み、法華経の行者を害そうとするものは、還って自らの身にそれを受けるようになること〉
この戸田先生の言葉は、仏法指導者にとっての急所の指導である。この言葉がわかる人が、勝利者となる。

●女子部は幸福に
一、広布のリーダーは、女子部を心から大切にしていただきたい。
女子部の皆さんが、広布のために一生懸命、行動してくださることが、どんなに尊いことか。
皆さんも、娘を持つ親の気持ちになればわかる。どれほど大事か。どれほど尊いか。
女子部の一人一人を、大事に大事にしていかなくてはならない。幹部は、とくに心していただきたい。
女子部は、皆、幸福になりなさい。
学会とともに生き抜く限り、決して不幸になることはない。
法のため、人のために、仏の使いとして、仏様の仕事をしているのだ。
妙法をたもった女性は、どんなことがあろうと、必ず幸福になる。御本仏が、そう断言しておられる。
大聖人は、「日女御前(にちにょごぜん)御返事」の中で「九識心王真如の都(くしきしんのうしんにょのみやこ)」(御書1244ページ)と仰せである。
妙法を受持した私どもの胸中にこそ「最極の都」がある。ゆえに、同志の集いは最も清らかで楽しい集いでなけれはならない。
だから、笑顔で生き抜いていただきたい。ご両親を勇気づけ、親孝行していってほしい。
“お父さん、お母さん、私がいれば、一家は必ず幸福になります! 繁栄します! 勝利します! ” ─ そう言ってあげられる女子部になってほしい。
朗らかに進もう!
私と一緒に!
同志と一緒に!

創価学会ほど、素晴らしい世界はない。この世界に、自分の素晴らしい使命がある。それを見つけることである。そこに、真の幸福と充実が輝く。
どうか、ご家族の皆さまに、よろしくお伝えいただきたい。
お父さんやお母さん、またきょうだいで、ご病気の方もおられると思う。
私と妻は、毎日、お題目を送っています。
長時間、ありがとう! ご苦労さま! (大拍手)