投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月15日(金)12時58分36秒   通報
そもそも家族というものは、互いに愛し愛され、親や夫や妻や子供が、
もしも死ぬような事態に陥ったならば、嘆き悲しむのが普通だと思っていました。

つまり、愛する者との離別(愛別離苦)です。

しかし、阿闍世王の親子関係は真逆の「怨憎会苦」そのものです。

親が子を殺し、子が親を殺す――釈尊は阿闍世王に言います。

「父王は自らその罪による報いを受けただけで、そなたに罪はない」と。

この釈尊の言葉は、他人を殺せば、殺した相手が自分の家族の一員となって生まれ変わり、
殺した報いを受ける場合もあり得るという意味です。

そして殺した者はその罪によって地獄の苦しみにあう――。

冒頭にも書きましたが、

世界中で今現在も無差別に他人を殺害するテロや戦争、
また通り魔殺人や親が子を殺し、子が親を殺す事件があとを絶ちません。

しかも二十世紀の人類は過去の歴史に比べるほどのない
大量の殺戮を繰り返す蛮行(二度の世界大戦)を犯しました。
これらの蛮行は、まるで提婆達多や阿闍世王の末裔が生まれ変わり、
どうしようもない人間の悪因悪果に翻弄された人間の悪業の循環に感じてなりません。

しかし、提婆達多や阿闍世王は法華経によって救われました。

現代に置き換えれば、もう日蓮仏法でなければ、この悪循環から人類が逃れる方法はないでしょう。