投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月15日(金)09時18分13秒   通報
このように日本中の人々が法華経誹謗の人となった原因は〝四大師〟のなかでは
伝教大師は除いて、弘法・慈覚・智証の三大師の邪義がその元凶であるとの指摘です。

そしてその門流の僧侶やそれに従う人たちは、誰人であれ、
必ず無間地獄に堕ちるということです。

つまり、付き従う〝師匠〟を間違えただけでも仏敵になり、無間地獄に堕ちるのです。

これほど仏法の因果は厳しく、法華経の行者を迫害する罪は限りなく重いのです。

過去に犯した悪因といっても、それ自体はすでに過ぎ去った昔のことですから、
そういうものがどこかにある訳ではありません。

それにも関わらず、私たちの生命を制約し〝幸・不幸〟の現象を
あらわしていくというのですから、夢や幻でないことも事実です。

ではどこにあるかといえば、結局、自分自身の生命のなかにあるのです。

仏法では現在の一念のなかに、永遠の過去からの一切の因を含み、
しかも現在の一念が永遠の未来へと開かれていくと説きます。

過去といい未来といっても、この現在の一念のなかに〝悪因悪果〟も〝善因善果〟も含まれ、
それがわが身に顕現され、幸・不幸を感じていくのです。

また、生命に刻まれた悪因はただちに顕れることもあれば、次の生に持ち越されることもあります。

過去世からの業因と今世での業因が、
現在の一念のなかに含まれている――これが仏法の厳しき因果です。