投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月14日(木)22時04分1秒   通報
大聖人は
「確かに提婆達多の三逆罪は仏の身から血を出したが、
仏といっても爾前教の仏であり、本門に説かれる久遠実成の釈尊ではない。

殺阿羅漢といっても、爾前教の阿羅漢であって、法華経の行者ではない。

破和合僧といっても、爾前教の小乗戒を持つ僧団であって、
法華経による和合僧団ではない(通解)」(御書一二八九頁)と語り、

爾前教を対象とした三逆罪と、法華経を対象とした三逆罪とを立て分けています。

そして
「提婆達多は大地が割れて無間地獄に入ったが、法華経の行者を対象とした
三逆罪ではないので、それほど罪が深くはなかったのであろう。

だから、提婆達多は法華経によって未来に悟りを開く
仏(天王如来)となったのである(通解)」(御書一二九〇頁)と述べました。

つまり、提婆達多の犯した三逆罪は、

爾前教の釈尊であって法華経の久遠実成の釈尊ではなく(出仏身血)、
爾前教の戒を持った阿羅漢であって法華経を受持している行者ではなく(殺阿羅漢)、
小乗教の戒を持った僧であり、法華円頓の大戒を持つ和合僧団ではない(破和合僧)ため、

その罪は重く深いようでもまだ浅いということです。
だからこそ、法華経で未来成仏の記別である天王如来を与えられたのです。

たとえば同じ殺人でも、自分を殺そうとして襲ってきた悪人を殺した場合は
正当防衛になりますが、善人を殺せばまったく逆で罪は重いようなものです。

このように同じ三逆罪であっても、相手や対象によって罪の軽重があるということなのです。

では、大聖人やその弟子を迫害した人々はどうなるのでしょうか。
・・・・明日につづく