2016年7月17日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月17日(日)03時08分30秒 通報 編集済 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2006-10-12【第64回本部幹部会 第31回SGI総会・第5回関東総会・第6回四国栄光総会】 ●印(インド)の教科書が「恩師の心を継承」と 一、今回、インドの友が、喜びを込めて、一冊の本を届けてくださった。 それは、インドの高校生(3年生)が、通信教育などで学ぶ英語の教科書である。 〈インド政府教育局による全国オープン。スクールの通信教育プログラムで使用されている教科書。 同スクールは、学校教育を諸事情で継続できなかった人に教育の機会を提供するもので、全国に10カ所の地域センターと、2000カ所の学習センターを持つ〉 じつは、この教科書で、アレクサンダー大王やガンジー、タゴール、ネルーなどとともに、光栄にも、私の足跡が取り上げられているという報告であった(大拍手)。 今、私の手元にその教科書があるが、ここには次のような一節がある。 「池田博士は常に、庶民として生まれたことを誇りに思っています。 博士を偉大にしているものは、幾百万の門下を友として、人類の幸福と恒久平和の実現のために、恩師の精神を受け継ぎ、実践し抜いていることです」 つまり、「恩師の精神を継承した」ことを『ホシ』と見てくださっているのである。 さらに教科書は、こう続けてくださっている。 「恩師に対する限りなき尊敬、美しき地球を舞台に喜びに満ちた交響詩を歌いながら前進する地球家族というビジョン、そして、生きる素晴らしさを教えるととにおいて、池田氏はまさに”生きた伝説”の域にまで達しようとしているのです」 まことに過分な評価で、恐縮である。 ただ、仏教源流の天地インドでも、「創価の師弟の道」「創価の同志の結合」に、これほど深い信頼が寄せられたことは、大変な慶事であり、私たちの未来に明るい道が開けていると確信できる出来事であると思い、紹介させていただいた。 教科書が正当に評価してくださっている通り、創価の三代は、「師弟不二」に徹したから勝った。 師弟こそ、勝利への絶対の法則である。それ以外に何もない。 そして、創価の三代は、けなげな庶民を大事にしたから勝った。 学歴や地位は、信心の世界に関係ない。 大聖人の仰せのままに進む人こそ仏であり、永遠不滅の栄光の人生を生きゆく法則をつかんだ人なのである。 そして、この「師弟」の精神、「庶民とともに」という精神を受け継ぐ青年がいるか否か。これで、広宣流布の将来は決まる。 ■ 一、仏法の世界においては、信心が強い人、広宣流布に向かう心の強い人が偉いのである。折伏をする人、使命ある学会を守りゆく人が偉いのである。人間がつくった位などに惑わされてはいけない。 ●師子身中(しししんちゅう)の虫を見破れ 一、きょうはインドのメンバーもお見えになっている。インドの皆さま、いらっしゃいますか。〈会場のメンバーが元気よく挙手を〉 インド・タミール地方の大詩人ティルヴァッルヴァルの詩集(5-6世紀頃)を繙(ひもと)いてみたい。 私は「世界桂冠詩人」として、ほとんどの国の有名な詩人の作品には目を通している。 大詩人ティルヴァッルヴァルは叫ぶ。 「親密なふりをして内部の敵が現れたなら、多くの苦しみとともに確実に滅亡をもたらす」「妬みという比類なき罪をもつ者は、富を失い、地獄に赴(おもむ)く」(高橋孝信訳注『ティルックラル』平凡社東洋文庫) 内部の敵、つまり「師子身中の虫」を鋭く見破り、叩き出せ! ── これが戸田先生の遺言である。とくに幹部の中の増上慢の人間、嫉妬の人間に気をつけろと。本当に鋭い先生であられた。 ●親孝行であれ 一、きょう集った青年部の諸君は、できるならば、お父さんお母さんに、何かおみやげを買って帰ってほしい。 高いものでなくてかまわない。真心が伝われば、それでいいのである。学会の青年部は、第一に親孝行であってもらいたいのだ。 ●顔に喜びを 快(こころ)い言葉を 「顔に喜びを」「快い言葉を」 ── 。 たとえば、夫婦の間もそうであろう。 朝から喧嘩をしても、つまらない。にこやかに「おはよう! 」と声をかける。「ご飯まだかい」「もうすぐです」「……うん、いつでもいいよ」(爆笑)。どんな言い方でもかまわないが、互いへの思いやりがあれば、気持ちのいい朝になるものだ。 学会活動も、「快く」行っていきたい。リーダーは、皆に窮屈(きゅうくつ)な思いをさせてはいけない。とくに最高幹部は、最敬礼して同志を大切にしていかねばならない。 ●嫉妬する人は衰えていく 一、庶民を見下し、威張る人間に対しては、私は厳しく戦ってきた。良心ある、誠実で純粋な同志を守るためである。“法盗人”から学会を守るためである。 皆さんも、さらにさらに、賢明であっていただきたい。 ティルヴァッルヴァルは述べている。 「偉大なる者には驕(おご)りがない。卑小なる者は驕り[という車]に乗り込む」(同) その通りである。 傲慢な人間を糾(ただ)し、真面目に進む人を大事にする。それが、人間らしい世界である。広宣流布の真の姿である。 チェコの教育思想家コメニウスは言った。 「嫉妬は、他人の不幸を願い、自分をやつれ衰えさせる」(前掲『世界図絵』) 嫉妬によって、人を陥れようとした人間は、かえって自らが敗北者になる。それが道理である。 ●師弟の絆(きずな)は永遠 一、日蓮大聖人は、弟子の最蓮房(さいれんぼう)との師弟の関係について、「無始の昔からの約束であり、『常に師とともに生ぜん』」と記されている(御書1342ページ、通解)。 今世だけの約束ではない。三世永遠の絆がある ── これが、仏法上の師弟の定義なのである。 師匠をもたない人間は、動物的な生き方となってしまうものだ。 学校の師匠がいる。人生の師匠がいる。仏法では、尊ぶべき三つの徳として「師」に「親」「主」を加え、「主師親」と説く。それを具えたのが日蓮大聖人であられる。 ともあれ、自身を高めゆく師をもつ人生は、深く、強く、美しい。 三世永遠に、師弟の大道を歩んでまいりたい。 ●「師弟」が根本 一、日蓮大聖人は仰せである。 「弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚(た)くようなものであり、叶うわけがない」(御書1151ページ、通解) また、大聖人は「良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたくわえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成し遂げることはできない」(同900ページ、通解)とも述べておられる。 仏法の根本は「師弟」だ。弟子が師に心を合わせ、真剣に祈り、戦っていく ── それでこそ、広宣流布を成し遂げていくことができるのだ。 また、御書にはこう記されている。 「法華経の大海の智慧の水を受けた根源の師を忘れ、よそへ心を移すならば、必ず生死に輪廻(りんね)する災いとなるのである」(同1055ページ、通解) 「根源の師」とは大聖人である。この師を忘れ、他の師を求めるならば、苦悩の流転を繰り返すことになる、との厳しき仰せである。 ●人材が未来の道を開く 一、ここで、戸田先生の指導を紹介したい。 先生は言われた。 「人を育てよう! それが、何よりも未来につながる勝利の道だ」 大切なのは「人を育てる」ことだ。 自分よりも偉くなってもらいたい。君たちに、全部託(たく)すよ。頼むよ ── こうした思いで後輩に接していくことだ。 私は戸田先生にそう教わり、その通りに祈り、実践してきた。 青年をアゴで使い、自分は楽をする ── それは最低の指導者だ。 決して傲慢や、卑怯であってはならない。それでは人は育たない。 青年の育成こそ、未来につながる道である。 後輩を育てよう! 伸び伸びと活躍させていこう! (大拍手) 先生は、こうも言われた。 「百の説法も、百冊の本も、妙法を持った『一人の女性』の生き生きとした姿にはかなわない」 妙法を持った一人の女性、女子部員の生き生きとした姿 ── それを皆が讃嘆する。共感する。驚きをもって見つめる。それが広宣流布へと、つながっていくのだ。 ●「3代を守れ! 」 一、戸田先生は語っておられた。 「私は20歳の時、師(牧口初代会長)に仕え、43歳にして牢に入りました。その間の20有余年、一度も師に心配をかけないでまいりました」 戸田先生は、牧口先生に対して絶対に迷惑をかけなかった。牧口先生を守って守り抜いてこられた。一緒に牢獄にまで行かれた。 私もまた、同じように先生にお仕えした。 師匠を守り抜いた。戦い抜いた。だからこそ、今の私があるのだ。 先生は、こうも言われた。 「大作は、私が育て抜いた人間だ。何ものをも恐れない」 「大作に託すしかない」 遺言ともいうべき言葉である。 先生はまた、口癖のようにおっしゃった。 「大作は、言ったことは必ずやる」 「大作がいれば、心配ない」 「大作がいれば、安心だ!」 このことは、牧口門下生も聞いている。 先生は、これほど私のことを信頼してくださったのである。 こうも言われた。 「3代で決まる。3代が大事だ! 3代を守り抜け!」 「一閻浮提(いちえんぶだい)広布への完壁なる基盤を、第3代の時代に築いていけ!」 私は全部、その通りにした。世界広布への完壁な基盤を築き上げた。 先生は私に、「世界の知性と友情を結ぶのだ。 君の開く道を多くの青年たちが続いていくだろう」とも指導してくださった。 この言葉のままに、私は世界を駆けてきた。 ■ きょうは長時間、ありがとう! ご静聴、感謝申し上げます! 海外の同志も、本当にご苦労さま! 皆さまのご健康と勝利を心から祈ります!(大拍手) Tweet