2016年7月17日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月17日(日)12時54分1秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2006-11-10 【新時代第1回 本部幹部会・東京総会・東京青年部総会】 ●全員が会長 全員が一兵卒 一、まず、新しい出発にあたって、一言申し上げたい。 仏法の世界は「異体同心」である。本来、信心には、上も下もない。会長、理事長といっても、あくまで組織の運営上の立場にすぎない。 全員が「会長」の自覚と誇りで進む。全員が、「広宣流布の一兵卒」として働く。 これが永遠の創価の魂である。 その意味から、原田新会長には、「誠実の二字で会員に尽くせ」と申し上げたい。 秋谷前会長(最高指導会議議長)には「今までのご恩返しのために、これからも広宣流布のために、不惜身命で戦え!」と申し上げたい。 正木理事長。創価学園・創価大学出身の第1号の最高幹部になった君には、「『創価の伝統』の光彩を放った歴史をつくり始めよ」と申し上げておきたい(大拍手)。 美しき 富士の山あり 創価には 使命と勝利の 不二の山あり この歌を、同志の皆さまにお贈り申し上げます(大拍手)。 ●三代で決まった 一、大勢の同志の方々の力によって、学会は、隆々(りゅうりゅう)たる大発展を遂げた。悠々たる前進の姿となった。 この偉大な同志の方々に、まじめに、真剣に、誠実に尽くすのが、会長はじめ、幹部の使命である。 仮にも、威張るなど、もってのほかである。幹部は、会員に奉仕する立場である。 そして、広宣流布のために、本当に苦労されたのは、初代・牧口先生と2代・戸田先生である。 お二人の遺志を継いで、3代の私が、創価学会の大発展を決したのである(大拍手)。私自身のことではあるが、未来のために、あえて申し上げておきたい。 創価の三代には、厳然たる師弟のつながりがある。永久に、これを忘れてはならない。 ■ 折伏にせよ、新聞の拡大にせよ、一生懸命にやってくださるのは、いつも婦人部、女子部である。 それを当たり前と思い、上から命令するような人間がいるならば、とんでもない間違いである。だれにも、そんな権限はない。 「やらせる」のではない。「やっていただく」のである。 頑張った同志の方々を「ありがとう! 」「ご苦労さま! 」と、ひざまずく思いで讃える。 これこそ、幹部のあるべき姿と知っていただきたい。 ■ 一、高山樗牛の言葉に触れたい。 「心の清きものは偽善を悪(にく)まざるを得ず、人の正しきを好むものは不義を憤(いきどお)らざるを得ず」(『樗牛全集第4巻』博文館。現代表記に改め、読みやすくした) 偽善を憎まないものは、同じく偽善である。 不義に怒り、不義と戦ってこそ、正義である ── このように戸田先生もよく言われていた。これが学会精神である。 ●一歩でも前へ! それが「創価」 一、樗牛はまた、次の有名な言葉を記している。 「己れの立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらん」(『樗牛全集第4巻』) “足下(そっか)を掘れ、そこに泉あり”私の好きな言葉である。 大事なのは足元である。自分がなすべきことから断じて逃げないことだ。地道に粘り強く挑戦することだ。 私は、若き後継の皆さんに申し上げたい。 「今いるところで、使命の花を咲かせゆけ! 断じて勝利の歴史を開きゆけ! 」と。 さらに樗牛は言う。 「人間は単に生存するものに非ずして、発達せんがために生存する」(同) 「発達する」とは、「成長する」ことである。「力を持つ」ことである。「勝利する」ことである。「価値を生んでいく」ことである。 いかなる困難があろうとも、じっと耐え抜いて、負けない。そして、一歩また一歩と、勝利の方向へ、希望の方向へ、幸福の方向へと進んでいく。生きて生きて生き抜いていくそれが価値の創造である。我ら「創価」の人生である。 一、戸田先生の折々のご指導を紹介したい。 「時代の主役は、老年ではない。時代は、青年によって一切が決定される」 これが戸田先生の大確信であられた。 私も青年であった。 19歳の平凡な青年が、偉大なる師匠にめぐり会い、徹底的に訓練を受けて、32歳で会長になり、ここまで学会を築き上げてきたのである。 牧口先生も、戸田先生も、意気揚々と胸を張って、「さすが、わが弟子よ! 」「わが弟子は勝った! 」と霊山で讃えてくださっていることは、間違いない(大拍手)。 牧口先生の「真の弟子」は、戸田先生であった。 戸田先生の「真の弟子」は私である。 この三代の師弟が盤石(ばんじゃく)であったから、学会は栄えてきたのである。 仏法は弟子で決まる。 「弟子の勝利」こそ、「師弟の勝利」である。弟子が勝ってこそ、勝ち続けてこそ、万代に輝く創価の時代が豁然(かつぜん)と開かれていくのだ。 その一点を絶対に忘れてはいけない。 ■ 一、戸田先生は、ある女性に対して、こう指導しておられた。 「あなたは平凡な女性かもしれないが“大法”を持っていることは大変なことである。妙法を持ち、人々に教えながら、広宣流布に生きゆく人生を送っていることは、最高の女性の生き方である」 男性のリーダーは、健気に戦ってくださる婦人部、女子部の皆さんを最大に尊敬し、大切にしていただきたい。 万が一にも下に見たり、横柄な態度で接するようなことがあってはならない。 学会のリーダーは、こうした人間性や道理を、だれよりも大事にしていただきたい。 ●友のために! 一、戸田先生は言われた。 「幹部の責任は、会員を幸福にすることにある。それ以外には、何もない。創価学会の会長は、全会員を幸福にするためにいる」 威張るために幹部がいるのではない。 皆を幸福にするために、幹部がいるのだ。 それを、ただ「やれ、やれ」と言って、皆に命令し、威張る ── そんな人間は、絶対に許してはならない。 会員の幸福を自分のこと以上に考え、祈って祈って、祈り抜く。「あの人の指導を受けてよかった。幸せになった」といわれるような存在になる。それが本当のリーダーである。 だれよりも同志のために尽くし抜くのが、学会の会長なのである。 これが戸田先生の教えである。 一、きょうは、新たな出発の日である。 戸田先生は、ある組織の新出発に寄せて、次のように語った。 「(前任者の)あとを踏襲(とうしゅう)するというだけでなく、みんなの団結で新しいものをつくっていってもらいたい」 大事なご指導である。 また、「どうすれば人材になれるか」との青年の質問に対して、先生はこう答えておられた。 「今は時代が違うから私のように牢屋に入らなくてもいいが、広宣流布のために骨身を惜しまず戦うことだ」 戸田先生は信仰のために牢に入られた。今は、その必要はない。大事なことは「骨身を惜しまず」である。最高幹部が「骨身を惜しんで」、皆にやらせるようになったら大変である。 私は戸田先生のおっしゃる通りに、厳然たる学会をつくりあげた。尊き同志の皆さまとともに、戦い抜いてきた。 その精神がだんだんと薄らいできたら、学会は危ない。 将来のために、あえて言い残しておきたい。 一、戸田先生は、学会出身の議員に対しておっしゃっていた。 「いかなる立場になろうとも、つつましい生活を忘れるな」 この指導に反して堕落した人間を許してはならない。 また、戸田先生は書われていた。 「だれしも苦労は避けたいものだ。しかし、この世に何も残そうとせず、ただ自分だけで拝み、静かに死後の成仏を願い待つような信心は、大聖人の仏法ではない」 広宣流布のために、学会とともに、戦おう! 〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉 この「戦う心」に、大聖人の仏法は生きている。大聖人も喜んでくださるのである。 ●百年の功も一言で破れる 一、さらに、昭和32年11月18日の日記には、次のように綴った。 「先生の力で、われらはこれまで育つ。 先生の力で、妙法の境涯を開く。 先生の力で、われらの力は発揮できた。 先生の師恩は、山よりも高し。海よりも深し。 忘れじ、われは。 偉大なる師の歴史を世界に示さん。 誓う、堅く」 この誓いの通り、私はやってきた(大拍手)。 学会の幹部の中でも、特に会長職は、捨て身で、皆のために犠牲になるためにある。その覚悟で私は生きてきた。 戸田先生は幹部に対して厳しく言われた。 「臆病で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する ── それでは、死身弘法ではない。 広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」 臆病者は、出て行け! ── これが戸田先生の叫びであった。 御書を拝したい。 「千年間もたった苅茅(かるかや)も一時に灰となってしまい、百年の功も一言でやぶれるということは、物事の道理である」(1091ページ、通解) いざという時に、退転してはならない。 また、「正法誹謗の者に親しみ近づくならば、仏法を修行して得たところの善根は、ことごとく滅して、誹謗の者とともに地獄に堕ちるであろう」(同1374ページ、通解)との御聖訓もある。 たとえ、かたちは信心していても、正法誹謗をする人間はいる。 謗法を犯せば、せっかくの善根も消えてしまうのである。 ●三代の魂を貫け 一、日本には、中国から多くの思想や文化が伝わってきた。 その中国では、「三」を「万物を生み出す原点」ととらえる考え方がある。 〈12世紀の中国の思想家・程大昌(ていだいしょう)は、「『一』をもって『始まり』となし、『二』をもって『継承』となし、『三』をもって『完成』となす。そして万物が、よどみなく生み出されていくのだ」と論じている〉 創価学会も、初代が創立し、2代が受け継いで発展させ、第3代が完成させた(大拍手)。 このことは、一流の学者の方々も、指摘してくださっている。 殉教の師・牧口先生のお名前は「常三郎」。 常に三代とともに! 三代が盤石であれば、学会は永遠である ── こういう意義にも通じると、戸田先生が語ってくださったことがある。 「三代の師弟」を原点とする限り、創価学会は、万代にわたって発展していく。勝利、勝利を続けていくことができる。 こう申し上げ、記念のスピーチとしたい。長時間、ありがとう!(大拍手) とくに海外の方々、本当にありがとうございます。 ご苦労さまです。 また、お会いしよう! (大拍手) Tweet