投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月17日(日)17時53分4秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-12-7 【新時代第2回本部幹部会】

 一、皆さん、この1年間、本当にご苦労さま!
 音楽隊の皆さんも、1年間、ありがとう!(大拍手)
 はじめに、音楽隊の皆さんに、次の和歌を贈りたい。
 ★音楽隊 広布に走る 一千万 同志の励まし 無量の演奏
 ★仏勅の 広布の士気の 音律は 凛々しく賑やか 大行進かな

 また、壮年部の友には、この2首を贈りたい。
 ★健康と 長寿の生命 大切に 壮んな年に 誉れ多かれ
 ★あな嬉し 君も健康  我もまた 無量に価値ある  人生飾れや

 婦人部の皆さまには、次の和歌を贈りたい。
 ★母の歌 母の曲あり  婦人部の  健気な菩薩を  皆が尊敬や
 ★健気にも  仏意仏勅 胸に秘め 笑顔の太陽  婦人部尊き

 最後に、青年部の諸君に3首を贈りたい。
 ★晴れわたる  広宣流布の  幹部会  君も勝ちたり  我も勝ちたり
 ★勝ちにけり この一年も  来る年も  断固と勝ち抜け 創価の健児は
★厳とした  勇気と正義の  信念の 青年部ありせば  未来は盤石
 皆さん、本当にありがとう!(大拍手)

●最前線の同志の奮闘ありてこそ
 「重ねて申し上げるが、この1年、本当にご苦労さまでした!(大拍手)
 会長や最高幹部といっても、自分たちだけて広宣流布を進めることはできない。
 会員の皆さんが真剣に戦ってくださったからこそ、世界広布は現実のものとなった。学会は世界一の団体になったのである。
 リーダーは、このことを絶対に忘れてはいけない。
 決して自分を「偉い」などと勘違いしてはならない。
 懸命な一婦人部員。生活に苦闘する一社年部員──そういう方々が戦い、動いてくださったからこそ、学会はここまで発展したのである。
 また、こうした庶民のなかにこそ、本当に強い信心の持ち主がいるのである。
 ともあれ、この1年も学会はすべての戦いに勝利し、広宣流布の大きな前進を成し遂げることができた。皆さまに、最大の感謝と御礼を申し上げたい(大拍手)。
 これからも、体を大事にしていただきたい。風邪をひかないように気をつけて、最高の新年を迎えていただきたい。
 そして新年になったら、男性は奥さんに対して、「奥さま、おめでとうこざいます! 今年も一生懸命、働きますのて、安心してください」と言ってはどうだろう。
 そう言える男性は偉い(笑い)。
 奥さんのほうは、ご主人に対して、「おめでとうございます! 本当に昨年は、お世話になりました。どうか、お体を大事にしてください。私も一生懸命、御祈念しています」と言ってあげる。
 そうすれば、うまくいくはずである(大笑い)。
 それを朝から「早く起きなさいよ! きょうは勤行さぽって、お題目三遍で終わり!?」などと言うから、ケンカになる(爆笑)。
 まあ、人生は「劇」だから、いろんなことがあっていいかもしれないが(大笑い)。
 ともあれ、来年も元気に進もう!
 人の批判ばかりしたり、威張ってツンとしていても損をするだけだ。それは愚かであり、人間として敗北の姿である。 明るく、朗らかで、元気な人にはかなわない。この人が「人生の王者」なのである。
 私たちは、日蓮大聖人に直結して進む。その功徳は無臭無辺である。諸天の加護も厳然である。すべて御書に仰せの通りだ。
 信心をやり切って、楽しい人生、愉快な人生、勝利の人生にならないわけがない。仏の境涯にならないわけがない。頑張ろう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉

●仏法の真髄は師弟の精神に
 一、青春時代、私は師匠である戸田先生のために、すべてを捧げた。
 戦後、戸田先生の事業は破綻し、莫大な負債を抱えた。すると、それまで先生を慕っていた多くの人間が、手のひらを返したように「戸田の馬鹿野郎!」「何だ、創価学会は!」と罵り、去っていった。
 そのなかで、私はただ一人、決然と先生についていったのである。
 人の心は怖い。私は自身の体験に照らして、よく知っている。
 当時、私はまだ20代。「これが師匠を裏切った姿か」と鋭く胸に焼き付けた。
 事業の破綻を聞きっけて、新聞記者がやって来た。また、負債の取り立ても厳しかった。本当に大変な状況だった。
 あの剛毅な先生が、極限の状況まで追い詰められていた。
 私自身も肺病で、体も若しかった。そのなかを命がけで戸田先生を守り、支えたのである。
 ついに、先生は、学会の理事長を辞任せざるを得なくなった。
 私は、先生におうかがいした。
 「先生が理事長を辞めの師匠は誰になるのでしょうか…」
 先生は言われた。
 「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
 私は誓った。
 すべてに打ち勝って、師匠である戸田先生に、必ず第2代の会長に就任していただくのだ。創価学会を、世界的な団体にするのだ──と。
 私は先生を守るために、大学も断念した。私財もなげうった。そうして、すべてを勝ち越えたのである。
 あの苦闘から半世紀。今、創価学会は世界一の大発展を続けている(大拍手)。
 これはすべて、私とともに幾多の大難を乗り越え、戦ってくださった皆さんのおかげである。
 戸田先生、そして牧口先生が、どれほどお喜びであろうか。
 お二人は国家権力によって、牢獄にたたき込まれた。あらゆる誹誘、中傷を浴びせられた。
 牧口先生のもとで、戸田先生は厳然と戦い抜いた。
 そして戸田先生のもとで、私は厳然と戦った。
 この闘争に、今日の学会の世界的な発展の因がある。これだけの闘争をしてきたからこそ、私は何も恐れない。
 一、先生は、私を最大に信頼し、そばに置いてくださった。私は、どこに行くにも先生と一緒だった。
 ある時は、突然、私に「皆さんに、いい歌を歌って差し上げなさい」と言われたこともあった。
 また、夜中に先生から電話がかかってくることもあった。妻がタクシーを探してくれて、私は飛ぶようにして先生のもとに駆けつけた。
 先生と私は「師弟不二」であった。
 戸田先生と牧口先生も同じである。
 戸田先生は牧口先生について、「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」とまで語っておられた。
 この「師弟の精神」にこそ、仏法の真髄がある。人生の真髄がある。
 これがあったからこそ、学会は勝ったのである(大拍手)。

●師恩を忘るな
 師への感謝と尊敬を、絶対に忘れてはならない。ここに、発展か衰退かの分かれ目がある。
 学会がここまで大発展したのも、牧口先生、戸田先生を讃え、敬ってきたからである。私は、この原理を厳然と実践し、確たる発展の軌道を築いてきた。
 この点を、よくよく深く銘記していただきたい。

●尊き戦友よ!
 一、きょうは、海外の17の国や地域から、SGIの尊き戦友が参加されている。
 寒いなか、日本に、本当にようこそ、おいでくださいました。
 皆で、大拍手を贈りたい。ありがとう! ありがとう!(大拍手)
 地球の反対側から48時間かけて来日された、ボリビアの婦人部の皆さま、ありがとう! また、おめでとう!(大拍手)
 さらに、南米・ベネズエラの皆さまも、遠いところ、本当にご苦労さま!(大拍手)
 海外から参加される同志のことを思えば、日本で近くの会合に行くのを「面倒だ」なんて、言っていられない。
 まして幹部でありながら、威張ってばかりで動かない人間は、だらしがない。どんどん新しい人に交代すべきである。
 悪い芽を摘まなければ、新しい芽は出ない。
もう1回、学会を引き締め、新しい人材を育ててまいりたい。

●社会の“先頭”に立つ学生部たれ
 一、きょうは大学会の代表をはじめ、学生部の皆さんはいるだろうか。
〈「ハイ!」と会場から元気な返事が〉
 青年が皆、元気だ。すごい学会である。何があっても大発展──こんな団体は、ほかにないだろう。
 東京の麻布公会堂で行われた学生部の結成大会の日、戸田先生は言われた。〈1957年(昭和32年)6月30日。来年が50周年〉
 「うれしいね。学生部は、私が、どうしても創りたかった組織だよ」
 創価学会は、折伏の使命を果たし抜く人々によって築かれてきた。いよいよ、社会で先頭に立つ学会人を育て始めよう!──そのための学生部の誕生であった。ゆえに先生は、「うれしいね」とおっしゃったのである。
あの笑顔を私は忘れない。

■ 一、ここに出席されている、アメリカのハサン壮年部長より、今朝、報告をいただいた。
 それは、明年の春より、ニューヨークの名門ホフストラ大学の授業において、「ガンジー・キング・イケダ──平和建設の遺産」というコースが新設されることになったとの知らせである(大拍手)。
 光栄なことに、マハトマ・ガンジー、またキング博士とともに、私たち創価の非暴力の平和闘争が、学問の対象としても、真撃に探究される時代に入った(大拍手)。
 私たちが、そういう道を歩んでいることに、皆さんは誇りを持っていただきたい。
 今、世界の知性が、我らの正しき行動、歴史、勝利の姿を見つめている。

■ 一、戸田先生は、総会の折、模範の健闘をされた同志の方々を、壇上に招かれて、讃えられた。
 「ここに並ばれた方々は、私が褒めるよりもさきに、大聖人様がお褒めになっているに間違いありません」
 「大聖人様はすごい御褒美をくださるでありましょう」
 「どうか皆さん、この方々に、拍手を贈ろうではありませんか」
 仏法の眼からみた場合、広布へ戦う会員の皆さんこそが、だれよりも偉い──そういうお話であった。
 これが、創価学会である。仏法の世界である。
 その一方で、先生は、壇上にいた傲慢な幹部に対して、「生意気な奴は出て行け!」と一喝された。
私は「この精神が大事なのだ」と胸に刻んだ。

●「信心強盛」こそ一年の計の根本
 一、昭和33年、『大白蓮華』の新年号において、戸田先生がご生涯の最後に執筆された年頭所感のタイトルは、何であったか。
 それは、「勇猛精進」である。その結びに、先生は叫ばれた。
 ―― 新春を迎えるにあたり、学会員の一人一人が、この決意も新たに、広宣流布の大道を勇猛精進せられんことを祈ってやまないものである。
 『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』の御聖訓を日夜誦して、今日よりも明日、今月よりも来月、今年よりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
 まず肚を決めよ! 決まったら勇ましく進め!」
 日寛上人は、この「勇猛精進」について、「依義判文抄」で、大要、次のような意義を紹介しておられる。
 「勇」とは、「勇んで行動すること」。
 「猛」とは、「智慧の限りを尽くすこと」。
 「精」とは、「一点の混じり気もないこと」。
 「進」とは、「間断なく前進すること」。
 この「戦う心」が、仏法の究極であり、仏の姿であると、よく戸田先生は訴えられた。
 その通り、私はやってきた。
 明年の「前進・勝利の年」は、この「勇猛精進」の大闘争心で勝ち進みたい。

●明年を勝利と 幸福の一年に
 一、この12月5日は、私が中国の周恩来総理とお会いして、満32年の日であった。
 この日を記念して、周総理の誉れの母校・南開大学では、若き英才の学生たちが勇み集って、新たに「周恩来・池田大作研究会」が発足したとうかがった(大拍手)。
 孔繁豊副学長をはじめ、多くの教授の方々も出席してくださって、記念の講演会が持たれた。
 「周総理と池田先生の平和友好の精神、人類共生の哲学を、21世紀はもとより、22世紀へも伝えていきたい」──そういう心で取り阻んでくださっている。
 周総理も、喜んでくださると思う。講演会の夜は、美しい満月が式典を見守っていた。
 周総理は、「闘争を堅持する人民の力はきわまることなく、つきることのないもの」と言った(森下修一訳『周恩来選集』中国書店)。
 闘争していけば、どんどん力が出る。戦いを止めたら、力が出なくなるものだ。
 そして最後に、周総理の「決して敵を恐れるな! 敵との闘争の中で、自分自身を鍛錬していくのだ」との言葉を紹介して、私のスピーチを終わりたい。
 明年が、皆さんにとって勝利の1年、幸福の1年になるよう、私は祈っている。
 皆さん方の幸福、学会の発展、皆さん方のご一家の繁栄、無事安穏、全同志の勝利を、妻とともに祈っている。
 よいお正月を、そして素晴らしい勝利の1年をお迎えください。
 心から、この1年間の感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
また元気でお会いしましょう! 長時間、ありがとう。来年も勝利の1年を勝ち抜きましょう!
 本当に1年間、ありがとう。サンキュー・ソー・マッチ!(大拍手)