投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月22日(金)19時01分49秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-8-16 【東京・関東・東海道合同研修会】

■ 一、きょうは、ご苦労さま!
 使命深きリーダーの皆さまに、懇談的にお話ししたい。
 『三国志』に登場する“五虎”の将軍は、ご存じだろうか。
 蜀の国で、劉備玄徳(りゅうびげんとく)とともに戦った、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)、趙雲(ちょううん)、馬超(ばちょう)、黄忠(こうちゅう)の5人。「五虎大将(ごこたいしょう)」とも呼ばれる。
 さらに、劉備のもとには、希代の名軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)がいた。
 戦いは、一人だけでは勝てない。衆知を集め、心を一つにして事に当たらなければ、インチキで邪悪な人間たちを打ち砕くことはできない。
 その態勢を、具体的に整えることだ。
 これからの学会で大事なことは、全員が「広布の責任者」との自覚に立つことだ。一人一人が、しっかりすることである。
 学会の根幹は「師弟」である。「信心」である。それさえ忘れなければ、恐れるものなど何もない。
 皆の自覚と団結で、わが地域から世界へ、新しい「勝利の鐘」「希望の鐘」を、ともどもに打ち鳴らそう!(大拍手)

●師の言のままに
 一、戸田先生は宣言された。
 「三代会長は、青年部に渡す」「譲る会長は一人でありますが、そのときに分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、3代会長を戸田門下が支えていきなさい」
 昭和二十七年の2月17日、第1回青年部研究発表会でのことである。
 私も出席した。当時、女子部だった妻は研究発表をしている。
 先生は、こうも叫ばれた。
 「私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍(しかばね)が品川の沖に、また、どこにさらされようとも、3代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」
 その言葉の通り、私は世界広布の道を開いた。190もの国と地域に、平和と文化のスクラムを広げた。皆さまが、ご存じの通りである(大拍 手)。
 先生は常々、「偉大な第3代会長を全魂込めて守れ! 3代を中心に生き抜け! そうすれば、広宣流布は必ずできる」と語っておられた。これは多くの最高幹部が知っていることだ。
 あの厳格な、人をめったにほめない先生が、こう言い残された。
 私は先生の遺言のままに戦った。先生を世界に宣揚(せんよう)した。
 師の言を、現実にするか、どうか。これが峻厳なる分かれ道である。悪名を後世に残してはならない。
 〈ある人は、こう書き残している。
 「戸田先生の逝去の後、池田先生が第3代会長に就任されると確信していた。なぜなら、かつて市ケ谷の(学会の)分室に戸田先生に指導を受けに行ったところ、戸田先生はしみじみと『私の後は、私の一番かわいい、しかも目の中に入れても痛くない、私の大事な懐刀(ふところがたな)の大作がやってくれるから……』と話してくださったからだ」
 また昭和33年3月16日の戸田会長の話として、次のような証言がある。
 「戸田がいなくなっても、第3代会長になられる方は、すでに決まっている。第3代会長になられた方が、戸田亡き後、広宣流布のすべての指揮を執り、世界広布の教えを、すべて残してくださる。第3代会長の後は、だれが会長になっても、第3代会長の教え通りにやっていけば、世界広布は自然にできるようになっている。
 4代から先は、公平な方であれば、だれが会長になっても困らないように、第3代は仕上げてくれます。
 第3代会長の言う通りに実行していけば、世界広布は必ず実行できるのです」〉

 一、昭和32年の7月12日、不当な権力に抗議する東京大会が行われた。戸田先生は命を振り絞るように師子吼された。
 「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」
 先生の胸中には、学会こそが、大聖人の御精神を継ぎ、その仰せのままに広宣流布をしてきた教団であるとの自負が燃えていた。この学会の信心以外に、大聖人の御心にかなう信心はない ── この大確信と誇りを胸に、勇敢に前進してまいりたい(大拍手)。

■ 一、夏真っ盛りの「8月24日」が、私の入信記念日である。
 今年も、全世界の同志から祝賀していただいており、この場をお借りして、心から感謝し、御礼を申し上げたい。
 日本はじめ全世界の、毅然(きぜん)として広宣流布に前進しゆく、尊い健気(けなげ)な、わが同志の方々の「健康」と「幸福」と「勝利」を、心からご祈念させていただくのみである。
 今、うれしいことに、全同志の真剣な弘教によって、新しい「広宣流布」の拡大の波が広がっている。新しい「地涌の友」が続々と誕生している。
 日蓮大聖人は、有名な「諸法実相抄」に仰せになられた。
 「末法において妙法蓮華経の五字を弘める者に、男女の分け隔てはない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えがたい題目なのである。
 初めは、日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人、三人、百人と次第に唱え伝えたのである。未来もまた同じであろう。これこそ地涌の義ではないか。
 まして広宣流布の時は、日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするように確かなことである」(御書1360ページ、通解)
 この御聖訓を、厳然と証明しているのが、わが創価学会である。

●入信の日の思い出
 一、私の入信の日 ── 昭和22年(1947年)の8月24日は、日曜日であった。大変に暑い一日であったと記憶している。
 当時は、入会の儀式の勤行が、今よりも、ゆっくりで、慣れていない長時間の正座で足が痛くて苦しかったことを思い出す。
 私は、戸田先生の人格を慕い、深遠な哲学性を求めて入会したが、宗教そのものには抵抗があった。
 父親は、私の入信に猛反対であった。父と私の間に入って、母は大変に苦しんだ。
 そうした私自身の体験に照らしても、新入会の方々の心境がよくわかる。
 その意味から、私は、入会当時の戸田先生の激励のご指導を、そのまま、伝えさせていただきたい。
 これも、私が若き日から記録し、留めていたものである。
 「これから長い人生である。どういう宿命が待ち構えているか知れない。いつ、どのようになるかもわからない。一生涯、悠々と人生を生きていける信念と哲学が、絶対に必要である」
 「今後、年老いて振り返った時に、どれだけ自分が有意義な人生を生きたか、価値ある人生を生きたかが大事である。
 とくに、死という問題に立ち至った場合、悠々と総仕上げを飾っていけるかどうか。その時に悔いるようなことがあっては、断じてならない。人生は、一瞬のうちに年をとってしまうものだ」
 「一切の人生航路、生命航路の現実は厳しい。それを打開していく根本こそが、この大聖人の仏法である。その仏法を、青年らしく、勉強し、実践してみなさい」
 この師匠の指導の通りに、約60年間、私は、大仏法を実践してきた。先生が教えてくださった通り、最高に有意義な、最大に価値ある人生を生き抜いてくることができた。
 新入会の皆さんにとっても、入会の原点の日が、10年先、20年先に、どれほど重要な人生の記念の日となっていくことか。
 そのことを、どうか、晴れ晴れと確信し、良き先輩とともに、良き同志とともに、そして、私とともに、前進していっていただきたい(大拍手)。

●戦争を起こさせてはならない!
 一、私はこれまで世界を舞台に、平和のため、人類の未来のために「対話」を重ねてきた。
 十年前、キューバを訪れ、カストロ議長と会見したことも懐かしい。
 また、アメリカの国務長官を務めたキッシンジャー博士とも、ニューヨークなどで何度も語り合った。
 冷戦時代、ソ連と中国が対立している時にソ連を訪れ、コスイギン首相と率直に意見を交わしたことも忘れられない。
 私は、「ソ連は中国を攻めない」との首相の言葉を、中国の首脳に伝えた。
 絶対に戦争を起こさせてはならない ── これが私の思いであった。
 また日本でも、世界の識者や各界のリーダーと縦横(じゅうおう)に語り合った。
 すべて未来を見すえての行動であった。
 こうして蒔(ま)かれた平和と友情の種は、今、世界の各地で大きく花開いている。
 誠実の行動に勝るものはない。勇気の対話で破れない壁はない。
 どうか、このことを忘れないでいただきたい(大拍手)。

●「難こそチャンスうれしいと思え」
 一、人生は、戦いがあるから、おもしろい。
 戸田先生は、関東の同志に呼びかけられた。
 「僣聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)が出ると、私もうれしいと思うが、皆さんもうれしいと思ってもらいたい。
 その時こそ、仏になれる時だ。最高の名誉をもって、敢然と戦おうではないか!」
 また、こうも言われた。
 「権威で飾り立てた、最も卑しく、ずる賢き、仏法で説く第三の強敵(ごうてき)・僣聖増上慢を、決然と迎え撃ちたいのだ」
 大難こそ、仏になるチャンスである。
 仏の生命は、敢然と難と戦ってこそ、そして勝ってこそ、わが身に輝きわたるのである。
 静岡で、戸田先生は教えてくださった。
 「政治、経済、教育、文化、それら各種のものの根底に、真の仏法がなくてはならぬと断ずる。
 真の仏法を根底において、その活動を育成し、助長して、国家を救い、民衆を幸福のなかに暮らさせんとするものである」
 たとえば政治も、「政治のための政治」ではだめだ。理想や理念がなくなれば、苦しめられるのは庶民である。
 根底に「慈悲の精神」「生命尊厳の哲学」を打ち立てなければ、民衆の不幸は止まらない。
 逝去(せいきょ)の直前、戸田先生は静岡の地で叫ばれた。
 「邪悪とは、断固、戦え! 一歩も退いてはならんぞ。追撃の手をゆるめるな! 」
 悪に対して容赦してはならない。言論の剣で、責めて責め抜くのだ。倒すまで戦うのだ。

●戸田先生「極悪(ごくあく)を責めて責め抜け」
一、きょうも、戸田先生の指導を通して、少々、お話をしたい。
 皆さんのおかげで、創価学会は、未曾有の大発展を遂げている。
 だからこそ、油断できない。油断すると、悪い人間が必ず出てくる。これだけは絶対に許してはならない。
 民衆の尊き労苦で築かれた、偉大なる希望と幸福の城を、断じて荒らさせてなるものか。
 人の善意につけこむ悪党 ── そこにひそむのは「権力の魔性」である

一、戸田先生は、権力をもつ者には、それはそれは厳しかった。
 「極悪を世に知らしめて、責めて責めて責め抜け! 最後まで!
 これが、正法を行ずる者の使命であり役目である」
 忘れ得ぬ指導である。
 急所は全部、先生から教わった。
 「大作が聞いていれば、全部、実現されるだろう」。そう先生はわかっておられた。絶対の弟子として信頼してくださった。
 これまでも、同志の真心を踏みにじる、卑劣な反逆の人間が出た。
 とんでもないことだ。
 民衆が主人なのだ。権力者は“僕(しもべ)”だ。なのに威張って、ふんぞり返っている。今、民衆が覚醒しなかったら大変だ。
 極悪に対して、黙っていたら、こちらまで悪になってしまう。手厳しく、声をあげるのだ。
 意気地なしであってはならない。
 ずるい人間であってはならない。
 今こそ、新しい学会をつくる時である(大拍手)。

●信心の団結を!
 一、戸田先生は厳しく言われた。
 「信心の団結で三代の会長を守りながら、前進勝利していけ!」
 大切なのは信心の団結だ。「師弟の精神」を守り抜くことだ。
 忘れてはならない、永遠の指針である。
 また、ルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴィンチは述べている。
 「城主は、彼の重臣や従者たちに用心するために、最大の注意と最高の配慮をしなければならぬ。なぜならば、彼らこそ彼を裏切るのにきわめて好都合なのだから」(久保尋二著『宮廷人レオナルド・ダ・ヴィンチ』平凡社)
 「内部の者の方が、外にいる敵よりも危害を加えるのに有利な立場にいる」(同)
 これまでも、学会の幹部の中から、大恩ある同志を裏切り、反逆していった不知恩の輩がいた。
 ロシアの文豪ドストエフスキーも「多くの場合味方こそ第一の敵になるものです」(小沼文彦訳『ドストエフスキー全集 第17巻』筑摩書房)と綴っている。
 さらに、古代ローマの哲学者ボエティウスは、「どんな悪疫(あくえき=悪性の流行病)が友人面をした敵より有害でしょうか」とまで述べているのである(渡辺義雄訳書学の慰め」、『世界古典文学全集26』所収、筑摩書房)。
 広宣流布の和合僧団である学会を、絶対に破壊されてはならない。敵の本質を鋭く見破っていくことだ。

●将(しょう)の将たれ!
 一、戸田先生は、青年に限りない期待を寄せていた。
 心の老人になってはならない。みずみずしく、生き生きと語るのだ。
 実績もないのに、偉ぶってはだめだ。一兵卒として、一番大変なところで勝利をつかむのだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「学会の青年のたくましさ、これを吹き込まなければ、今の青年層を本当に救うことはできない」
 隆々たる学会青年部の前進が、どれほど社会全体の希望となるか。
 どうか、正義の青年部は、がっちりと団結して進んでいただきたい。
 全員が、「広宣流布の将の将」である。舞台は世界だ。力ある真の弟子が、続々と出てこなければならない。
 青年ならば、最激戦地へ飛び込み、あえて苦労を求めて、富士のごとき自分を、堂々と鍛え上げていただきたい(大拍手)。