投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月23日(土)12時49分14秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-8-20.21 【北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修会】

●人類の境涯を高めよ!
 一、戸田先生は、北海道の同志に、こう語られた。亡くなる半年前、札幌の体育大会でのご指導である。〈昭和32年8月18日〉
 「初代の会長は、青年が大好きだった。私も青年が大好きです」
 「皆さんの双肩には、東洋の指導者として、人材として立っていく任務がかかっている。きょう、北海道の青年の姿を見て、おおいにたのもしさを感じている。
 日本民衆の先駆けとして立っていくことを願って、私の訓示にかえる」
 あのころ、皆、まだ貧しかった。皆、日々を生きることに懸命だった。
 そういう青年たちに、先生はいつも、日本を背負い、世界に羽ばたく大望を抱けと教えられた。
 「われわれは、人間革命、宗教革命によってこそ、ほんとうの幸福をつかみ、平和な社会を建設することができる」
 これも、北海道でのお話である。
 個人の境涯だけでなく、一国の境涯、人類の境涯を高めゆくことが、私たちの使命なのである。

●師が戦い抜いた道を自分も!
 一、「僕は、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。 構想だけは、僕がつくっておこう。
 君が、それをすべて実現していくんだよ」
  ── 厚田の海を二人で見つめながら、戸田先生は言われた。それを私は、小説「人間革命」に書きとどめた。
 私には、この先生の書葉通り実践してきた自負がある。世界に広宣流布の道を広げ、人類のため、文明間の対話の道を開いてきた。
 師弟、師弟といっても、口ではなく、心が師匠と一体でなければいけない。行動が「不二」であらねばならない。
 私は「師弟不二の道」を貫いた。諸君も続いてもらいたい。「師弟」のほかに、創価学会の魂はない。

■ 一、南無妙法蓮華経という法があっても、それを実践し、弘める人がいなければ、法の偉大さは分からない。
 信心を深めることは難しい。そのために仏法には「師弟」がある。師弟の道を貫く現実の行動によって、妙法への信が深まっていくのである。

●南無妙法蓮華経は師子吼の如し
 一、残暑が続いている。これからが夏の疲れが出る季節でもある。聡明に、「信心即健康」のリズムをつくっていただきたい。
 また同志の中には、自身が病気であったり、ご家族が病気の方もおられるだろう。
 牧口先生は「(病気が)治るという結果は治ろうとする自力(じりき)と治そうとする他力(たりき)との確信をもった協同に依るものである」と言われた。
 健康になるために、医学の力は、当然、必要である。
 しかし、医学の力をどこまで引き出せるかは、自分自身の生命力による。
 日蓮大聖人は、四条金吾の子どもが病気になったことを聞かれ、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはり(障)をなすべきや」(御書1124ページ)と励まされた。牧口先生は、御書のこの部分に傍線を引かれている。
 同じく「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947ページ)の御聖訓にも傍線がある。
 妙法は、生命を貫く大法則である。妙法を根本に生きる ── すなわち、妙法を信じ、持(たも)ち、弘めることは、大聖人に連なる振る舞いである。ゆえに、生老病死の苦しみを超えて、常楽我浄(じょうらくがじょう)の生命の境涯を楽しむことができる。
 病気といっても、症状や状況はさまざまであり、一概にはいえない。
 しかし、大事なことは、「断じて治す」と決めて祈ることである。また、ご家族が題目をあげ、学会活動に励んだ功徳は必ず本人に通じていく。
 生命の奥底から、生きる力を引き出して、偉大なる人間勝利のドラマをつづっていただきたい。

●悪は放置するな
 一、組織を内から腐らせる「師子身中の虫」は、形式主義、油断、停滞の空気の中で、はびこっていくものである。
 反対に、前進の勢い、真剣さのみなぎるところには、悪い人間はいられなくなるものだ。
 また、「一番、小利口で臆病な人間はやがて学会から逃げる」とも、戸田先生は言われていた。
 「種種御振舞御書(しゅじゅおふるまいごしょ)」には、こう仰せである。
 「邪悪な僧の実態を明らかにする人がいなければ、未来永劫までも、そのまま通ってしまい、仰がれ続けるであろう」(御書924ページ、通解)
 悪人を放置すれば、大勢の人々が、長きにわたってだまされ、不幸になってしまう。ゆえに、悪を責めて、その実態を世に知らしめていくべきである。
 ヴォーヴナルグというフランスの思想家に、こんな言葉がある。
 「悪人は善人に手腕があるのを見てとると、いつも不意を打たれる」(『省察と箴言』内藤濯訳、創元社)
 悪人は、放置すればするほど、つけあがっていく。悪人に、断じて、なめられてはならない。
 「悪を放置してはならぬ。前へ前へ攻めて出よ! 敢然と打ち破っていけ! 」
 「仏敵を許すな! 祈り、打ち勝っていけ!」
 これが戸田先生の厳命であった。
 悪人には、広宣流布の清浄な世界に指一本たりとも触れさせない!
── この気迫を持っていただきたい。

●覇気をもて!  強気で進め!
 一、戸田先生は、覇気のない幹部の姿を見つけると、容赦しなかった。
 「何だ! 敗北者みたいな顔をするな! 」と一喝された。
 「“強気の存在”となれ! そうでなくては、人はついてこない」と言われていた。
 ともあれ、大事なのは「行動」である。
 役職という位は方便であり、「信心の位」がどうであるかで一生成仏は決まる。
 そして、信心は「行動」にあらわれる。
 繰り返しになるが、特に男性の幹部は、絶対に女性を怒ってはいけない。
 また、女性を最大に尊敬するのはもちろん、広布の庭に送り出してくださる、ご主人はじめご家族の方々にも、最大の真心を尽くしていくべきである。
 また、「団結」を呼びかける場合にも、それが、押しつけのようにとられてはいけない。
 人には個性がある。桜梅桃李(おうばいとうり)である。
 大聖人は「異体」にして「同心」と仰せなのである。
 一人一人の意見をよく聞き、仏子として最大に尊敬しながら、「偉大なる団結」を築いていただきたい。皆が喜んで「異体同心」で進めるよう、勝利の名指揮をお願いしたい(大拍手)。

■ 戸田先生は宗教が広まる要件の一つとして、その宗教を実践する人が「人間的に尊敬される」ことを挙げておられた。創価の連帯が世界190力国・地域に広がったのも、この指導通り実践してきたからだ。
 どんなに法が正しくても、人間として立派でなければ、だれにも信用されない。
 どうか皆さまは、学会の同志からも、また地域の方々からも、慕われ、尊敬される存在であっていただきたい。

 一、戸田先生は言われていた。
 「模範的な信行に励んできた方々は、『仏の使い』として、最大に尊敬し、大事にすることだ」
 そうした方々に対し、「いつもありがとうございます」とお礼を言う。お辞儀をする。心からの感謝と敬意をもって接していく。
 それでこそ、本物のリーダーである。

●自らの行動で歴史をつくれ
 一、御書には「陰徳あれば陽報あり」(1178ページ)とある。
 だれも見ていないところで、皆を支える。
 学会のために、黙々と働く。その人こそ本当に尊い。
 陰徳を積めない人間は偉くなれない。これが多くの人を見てきた私の結論である。
 ロシアの文豪ゴーリキーは「人間が残せるものは、行いのみ」と綴った。
 大切なのは行動だ。
 わが広布の歴史を、どう築き残していくかだ。
 戸田先生は厳然と叫ばれた。
 「蓮祖の御聖訓である『広宣流布』に戦い続けた人が、菩薩であり、仏である」
 また、こうも言われた。
 「自分たちの努力で地区をつくり、支部をつくった者が偉いのだ」
 できあがった組織の上に乗っかり、あぐらをかくような幹部であってはならない。
 不惜身命(ふしゃくしんみょう)で戦うのだ。自らの行動で組織を拡大し、わが地域に偉大なる広布の城を築いていくのだ。

●大満足の人生を
 一、私が親交を結んだ一人に、ハーバード大学名誉教授のバーナード・ラウン博士がいる。核戦争防止国際医師会議の共同創設者で、ノーベル平和賞を受賞した博士は、こう述べておられる。
 「人に尽くしてこそ生きがいは生まれます。生きがいは一人ではつくれないのです」
 味わいのある言葉だ。
 わが友の悩みに耳を傾け、励ましを贈る。同志の幸福を真剣に祈っていく。
 人々に尽くしゆく学会活動こそ、最高の生きがいが輝く、充実と満足の道なのである。
 牧口先生は訴えておられた。
 「この実社会でいろいろな面で苦労も喜びもあろうが、人間、後になって悔いのない人生を送らなくてはいけない」
 どうか皆さまも、悔いのない、大満足の人生を生き抜いていただきたい。
 そのための信心であり、学会活動である。
 新しき「広宣流布の夜明け」へ、ともどもに、大胆に、そして朗らかに前進していこう!
 どうか、北海道、東北、中部、北陸、信越の各方面に戻られましたら、わが愛する同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 きょうは本当にありがとう!(大拍手)