2015年1月10日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月10日(土)12時32分22秒 皆様、ありがとうございます。 のんびり様 人間は忘れる生き物です。私もよく忘れます。常に「何のため」を確認していかないと、すぐにズレていくものです。人も組織も。仏法で説く雪山の寒苦鳥も、人の忘れやすさを譬えているものでしょう。 昔、カットモデルをした時にカリスマ美容師と呼ばれる人が言っていました。 「人間恥をかかなくなるとダメになる」と この言葉には常にワンランク上を目指せという意味合いと、居心地のいい世界に浸っていては成長はないことを示唆していると思います。「何のため」を常に問いかけてくれる人の存在もまた善知識であります。 忘れた頃に指摘してくれる人、また自分が指摘していく。何度も繰り返すことが大事になりますね。 エッグ様 日蓮仏法は「活の法門」です。妙法を根底としたときに、すべての思想や哲学を活かすことができるのです。 仏法に無駄はないと言われるのも、まさにこの活の法門だからです。すべての人生経験を価値に変えていくことができる。 尚、成仏に関しては、段階など関係ありません。名字即の位とあるように純粋な「信」で決まります。 成仏とは、端的に表現すると「自分が尊い仏であることを覚ること」です。(もちろん仏界ばかりは表現できないのが前提ですが)。厳密に言うと、題目を唱えることができるということは、自分が仏であると命で覚知していることになります。意識ではわからなくても命ではわかっているのです。だから、題目を唱えられること自体がとてつもなくすごいことなのです。これを即身成仏ともいいます。いつか仏ではなく、題目を唱えている姿そのものが仏なのであります。 うららさま 頭の整理に役立てて光栄です。日々思索をしていくと、情報も膨大になり何がなんだかわからなくなりますね。 なんだかんだで答えは意外とシンプルだったりもします。情報を精査し、自分自身の考えを構築することは精神的自立にもつながります。そしてうらら様の投稿は、いつも心が和みます。 アルベア様 求道者から救済者への深化、ここが重要ですね。法華経の信者から、法華経の行者への転換。組織から何かをしてもらうという発想から、自分が組織のために何ができるのかという発想にシフトチェンジしていくことも、これらの転換につながると考えます。仏法は一念の変革であり、自分自身の一念がどこにあるのかを観ていくこと。これが仏道修行であり、起きている現実は自分自身の一念の反映であるととらえていくところに成長もあるのだと思います。 タオル一枚旅の人様 感動が大事ですね。御書を拝するのも偏に、大聖人の精神に触れて「感動」することですから。人の行動のきっかけも感動にあります。文字通り感じて動くですから。自分が感動していなければ人を感動させることはできません。触発を生むキーワードこそが「感動」ですね。 Tweet