2016年4月8日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 4月 8日(金)13時16分23秒 通報 話は変わりますが、 我身一身の心が善(幸)を感じ、悪(不幸)を感じ、あらゆる幸・不幸の姿を表していく可能性を秘めた生命ですが、 それは何によって善悪の法が発動するのでしょうか。 最後にそれを考えていきたいと思います。 十如是に「如是因・如是縁・如是果・・・」とあります。 一切衆生には仏と同じく、 幸福になる因、不幸になる因、賢者になる因、愚者になる因、善人になる因、悪人になる因――等々、さまざまな可能性を秘めています。 結果として「幸・不幸」「賢者・愚者」「善人・悪人」になる道理は「縁」によって決まります。 具体的に言うと、幸福になる「因」は具わっていても幸福になる「善縁」がなければ、幸福という結果は出ません。 反対に、悪人になる「因」はあるけど「悪縁」がなければ、結果として悪人にはなりません。 つまり、心が善悪の縁にあって善悪の法(物事・現象)を作り出しているのです。 これを悟り、知っていくことが信心の目的であり、仏道修行の要だと考えます。 本文中には「心の一法より国土世間も出来する事なり」(同頁)とあります。 個々人の心の一法から出てきた形や物事の集大成が国土世間なのだという意味です。 そう考えていくと、仏の出世の本懐は、悪縁の撲滅と善縁の拡大と団結にあると思うのです。 これが三世諸仏が考えた総勘文(総合的に定めた文)の真意だと考えます。 またその善縁の最高峰の哲学が日蓮仏法であり、創価三代の創価思想だと言っても過言ではないと思います。 以上、簡単ではありますが、所感を述べさせていただきました。 最後に、各々が各々の立場で無理をせず、世界最高峰の思想の連帯を築き、拡大していく戦いを展開して参りましょう。 おわり Tweet