投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月 6日(火)23時37分26秒  

会則改正を通して言いたかったことは、結局のところ「創価学会の信心でしか功徳はないですよ」ということではないか。正しい御本尊があったとしても、もはや宗門には正しい信心がないので、広宣流布をする資格はない。広宣流布をする資格があるのは創価学会だけなのであります!キリっ!みたいな

法主の専売特許であった御本尊に関する事項も、「創価学会が認定する」と表明したことで、創価学会は宗門と同等以上の存在となったわけです。宗門を外護してきた信徒団体という殻を破り、宗門を越えた存在へと転身。だからこそ何でも自分たちで決めていいという論理が成り立つ。

まさかこれが創価学会の発迹顕本ということなのであろうか・・

私には、会則改正がどうしても幼稚に映ってしまいます。宗門へのコンプレックスを払しょくするための改正のように見えてしまう。戒壇の大御本尊自体が邪魔な存在であり、わざわざその概念まで批判しちゃって。浅はかで低レベルなことをしているような・・

仏意仏勅であることをいいことに、幼稚な執行部が好き勝手やれる体制をつくる
はきちがえれば、いつでも創価学会であろうと邪教の仲間入りをしますよ
宗門が邪教になったように

その危険性を指摘しているのが教学部レポートであると思います。

現実に、懸念の声によって、一度は却下された会則改正が、翌年には実現してしまった。
これが通るのであれば、ほかの事項はさらに容易ということになる。そこが怖い

ズバリ、今回の会則改正の根底にあるもの
「戒壇の大御本尊へのコンプレックス」

拙速に進めていたのも、早くコンプレックスを解消したいあらわれ
そのために多少の犠牲はやむを得ないと

自己満足会則改正

私、ジョーカーの悪い側面からみると、このような分析結果となります
これは鵜呑みにしてはいけません

さすがにここまで落ちぶれてはいないでしょうから