投稿者:陽光メール 投稿日:2016年 6月 7日(火)10時39分6秒   通報
今年の3月と4月に「問答無用 対話なき処分」シリーズを「29」まで続けましたが、その後に、いろいろと進展があり、同じタイトルのシリーズを続けます。
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私の活動停止命令の処分の手紙は、ローカルのリーダーが非礼にもアポなしで我が家に来て、ドアを押し売りセールスの如くドンドン叩き、家の中に入って来たのである。ソファに座るや否や、一人のリーダーが持ってきたその手紙を読みあげた。そして、対話もなく私にもよく分からないまま6か月間の処分を受け取る羽目になったのである。我が家に来たリーダー達も何故この人間を処分しなければならないのか真の理由は分からない筈である。

私の処分騒ぎのもともとの発端は、教学部レポートや遠藤文書を基にして、私が2015年9月12日にFNCCの日本語研修会で当時の永●理事長およびトップ幹部に質問したことから始まった。上記の両書は学会本部からは怪文書とされている。もしそうならば大幹部直々に別に騒ぎ立てるほどの事ではないのだ。しかし、2013年夏の「教学部レポート」に書かれてある通りに会則変更が2014年11月18日に行われた。私達が信心をしている宗教の根幹に関することが変更になったのだ。長年信心を続けている一会員として疑問を持つのは至極当然の事である。疑問を持たない方が不思議なくらいなのだ。

教義変更に関して、1)『大御本尊に南無すると祈りながら、それは受持の対象にしない』、2)『日蓮大聖人に南無すると祈りながら、人法一箇を放棄して大聖人を御本仏でない』とし、3)『三代の会長を広布の永遠の指導者と祈りながら、過去の整合性を無視して先生の闘いの歴史を否定する』。祈りは感謝で振る舞いは忘恩。この会則変更を肯定すると知らないうちに私達会員も忘恩の与同罪にならないか、と彼に尋ねた。また、4)御観念文は10か月経った後になってもできていないが、どのように祈れば良いか何の提示もない、

5)御本尊は学会が認定するとの事だがどの御本尊を認定するのか、その定義と理由等々を聞かせて欲しい等々の質問をしただけの話である。しかるに、大幹部は私の真摯な質問には全く答えることはなく、のらりくらりと質問内容とは違う事ばかり話し始め、話をはぐらかしてしまったミーティングになったのである。言い換えれば、理事長始めトップ幹部は対話を無視した形になった。元来、対話を重んじなければいけない創価学会が対話を無視するのである。不思議な話なのだ。