投稿者:陽光メール 投稿日:2016年 3月31日(木)01時20分55秒   通報 編集済
私の質問に関することは、彼は一切答えることがなかった。仕方ないので、昔、私がニューヨークにいた時の事を話した。笠原さん(副理事長・故人:ニューヨークの一番最初の会館はマンハッタン74丁目西のアパートの一角から始まった。その頃からの友人・同志)に会いに、私は場所を移転して大きくなったニューヨークの会館に良く通っていた。その時、永●氏は笠原さんの下で働いていたことがある。もう35~40年前の事である。皆若かった。永●氏は「そうだったのか。残念だ」と言った。何が残念なのか訳が分からないが、2,3度「残念だ」と繰り返した。

結局、永●理事長と話をしても何も得るものはなかった。彼は政治家になっていた。ただ、こちら側が真剣に質問しても彼がまともに答えることはなかった。というか、私の考えはこの対談が始まる数か月前に、メールで長●氏に渡してある。永●理事長をはじめ幹部達はそれを読んで知っていた筈である。

従って、彼らには私の質問がすべて最初から分かっていたのだ。分かった上で、何も答えることがなかった。多分、私の考えが数か月前のものと同じかどうかを彼らは確認したかったのかもしれない。今思うにこれが「査問」というものだったと思っている。約1時間弱の変な対談だったけど私にとっては実は何もなかった。

同じ日に、創価スピリッツ担当者の漆●氏の質問会があるというので行って見た。この人は、私がニューヨークいた時、彼もニューヨークに住んでいた人でお互いに面識はあった。しかし、親しく話しあったことはあまりない。その質問会の部屋には30人以上の人が集まっていた。もう少し、少人数を期待していたが、私だけの質問で時間を取りすぎるわけにもいかない。

それぞれメンバーは遠い所から参加費を支払って研修会に来ている。いろいろな質問をしたいのである。私は、一つだけ彼に質問した。「勤行、特に御観念文は会則変更後、あなたはどのように行っていますか?」その質問に彼はなかなか答えようとしなかったが、10分後に私が再度同じ質問で促すと「同じように今まで通りにやっています」と小さな声でポツンと言った。