投稿者:陽光メール 投稿日:2016年 3月31日(木)01時19分23秒   通報
食堂でランチをトレーに乗せて、その近くにある会議室のような小さな部屋(以前はそこはブックストアー、そしてインターネット・ルームになっていた場所である)に運んで行った。個室で個人的に話そうという事になっていたので、私は何も疑問はなかった。

椅子に座ると、既に三人の幹部が待ち受けていた。日本語研修会担当者の中●氏、前述の長●氏、永●理事長は私と一緒に部屋に入って行った。もう一人、斎●氏。この人は初めて会う人で、彼の役職は分からない。私を含めて計5人であった。

会話は、殆ど永●理事長と私でなされた。時折、長●氏が口を挟んでくる。他の二人は終始無言であった。私の最初の質問は、非常に興味があったので、永●理事長の勤行で御観念文の速さを聞いてみた。その際、戸田先生の指導はこう言われていると説明した。

ところが、永●氏は何も答えない。他の事を言い始める。午前中に行った彼の講義について話し始めた。永●理事長の御書講義は確かにりっぱなものである。講義中、手を大きく水平に広げ、大胆な表情。時折、目を閉じ「私たちの生命には無限の力がある」といつもの独特の話しぶりをする。だけど、私の質問には答えない。

時折、黒い鞄の中から彼の講義に関するノートを取り出し、老眼のせいかやや目を細めてそれを読み始める。私もそのノートを覗きこんだが、大白蓮華のコピーやノートに小さな文字でびっしりと書き込まれてある。さすがに理事長。よく勉強してらっしゃる、と感心した。

御観念文に関して、「会則変更した後、すでに10か月経っているにも関わらず、いつ新しい経本ができるのか?いま我々はどのように祈れば良いのか?」と聞いても、それに対する反応は皆無。「人法一箇はなくなったようだが、御本尊の意義は?」

「御本尊の認定とはどの御本尊を認定するのか?また、その基準や定義は?」と質問しても答えが全くないのである。アメリカの理事長と言えども日本の執行部の指示がない限り何も答えられないのだ、と途中で思った。もし彼が私に答えたならば、「理事長がこのように言った」という事が私の口から伝わりかねない。なるほど、彼にしてもその権限がないのだ、と思った。