投稿者:陽光メール 投稿日:2016年 3月30日(水)01時51分19秒   通報
彼は「その人の名前は言えない」と言った。また、先生は「聖教新聞、大白蓮華を読んでらっしゃるので了解している」とも言った。「その説明では説得力に欠けますよ。それはあなたの想像の域を超えないのではないですか?」と私は聞き返した。

また、「会則変更後すでに半年経っているにも関わらず、2015年1月末の聖教新聞紙上の解説でも焦点をぼかしたもので納得できない。 『結論ありき』で説明は後ズケで考えているような様子が伺えるが、ご観念文にしても半年経った今も現状のままで、これはいつ、どのように変更するのですか?また、会則変更後、我々はどのように祈れば良いのですか?」と。

「それに今回の会則変更で非常に矛盾していることは「1)『大御本尊に南無すると祈りながら、受持の対象にしない』、2)『日蓮大聖人に南無すると祈りながら、人法一箇を放棄して大聖人を御本仏でない』とし、3)『三代の会長を広布の永遠の指導者と祈りながら、先生の闘いの歴史を否定する』。祈りは感謝で振る舞いは忘恩。この会則変更を肯定すると知らないうちに我々も忘恩の与同罪になってしまいませんか?」と彼に尋ねた。

先生は「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と言われたけど、今がまさにその時ではないのでしょうか?