2016年3月16日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 3月16日(水)13時33分26秒 通報 ★☆池田大作全集89巻 第一回青年部「3.16」記念大会 (1998年3月13日)より抜粋 1/2★☆ 【「全員が会長」の自覚で、永久不滅の創価学会を 】 今回、日本はもとより、世界の青年部が「3・16」記念の行事を行っている。 「新しき世紀を創ろう!」――そういう青年の″熱″と″光″が、世界中にみなぎってきた。 いよいよ「青年の世紀」が始まった――こう、私はうれしく見守っている。 わが青年部は、めざましい成長と拡大を遂げた。「よくやった」とたたえたい。本格的な「青年部の時代」の到来である。(拍手) 青年部の結成の日を思い出す。場所は、小さな西神田の旧学会本部。当時、他の宗教は立派な建物をもっていた。いちばん正しい創価学会が、いちばんみすぼらしい建物であった。 結成式に集ったのは、わずか百数十人の青年である。その時に戸田先生は言われた。 「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう」 「そのかたに、心からお祝いを申しあげておきたいのであります」 先生は、すべてを見とおしておられたのである。 そこで、きょう、私は申し上げたい。「今回、集まった青年部の諸君は、全員が創価学会の会長の自覚をもってもらいたい」と。 これからは、一人がすべてを担うという時代ではない。これだけの大きな団体であり、多次元に、また世界と連動しながら広がっている大民衆組織である。しかも何の権力もなく、たえず圧迫を受けながらの前進である。一人や二人の力で、どうなるものでもない。団結しかない。 もちろん組織の機構上、会長という立場の人は決まっていくであろうが、実質は「全員が会長の自覚に立っていく」以外にない。その自覚と責任、行動で、永遠に「広宣流布」へ、「民衆の勝利」へ、進んでいっていただきたいのである。 皆が喜び、皆が楽しく前進できる創価学会、そして恒久的な創価学会を築いていただきたい。これが諸君への私のお願いである。(拍手) 諸君の使命は、大切な創価学会を「恒久化」することである。″永久不滅の創価学会″を築くことである。それ以外に、広宣流布の流れを永遠化することはできないからだ。 絶対に、学会利用の悪人に、かき乱されてはならない。見破っていかねばならない。 では、創価学会を永遠化し、広宣流布の永遠の流れをつくっていくには、どうすればよいのか。 それは、優秀な諸君自身が思索し、実行する以外にない。 また、あらゆる次元から論じることができよう。それを前提にして、きょうは、根本的次元から、一端を語っておきたい。思索の糧にしていただきたい。 【なぜキリスト教は広まったか】 キリスト教は全世界に流布した。大いなる勝利といえる。 では、なぜ勝利したのか。 ローマ帝国という、当時の世界一の権力に対抗して、迫害また迫害、殉教また殉教の連続であった。それなのに、結局は、大ローマ帝国を動かす″宗教界の王者″となった。そして、ローマ帝国が滅亡した後までも、世界へと広まっていった。 なぜなのか。 じつは、この「殉教の精神」があったから、勝利したと言える。 権力と妥協しなかったのである。権力に服従した宗教は、やがて必ず奴隷化され、魂を失って滅びていく。これが歴史の鉄則である。 権力と戦う宗教だけが、″光″を出す。″力″を出す。形のうえで、勝とうが負けようが、「魂」は勝利しているからである。ここから、次の時代へと広がっていく。 「殉教の精神」――これこそが根本である。「一念三千」であるゆえに、この精神、この一念によってしか広宣流布はできない。 キリスト教は、初めは小さな、貧しい集まりにすぎなかった。だれも重要視していない。むしろ、バカにしていた。そのキリスト教が、どうして、ここまで広がったのか。これについて私は、トインビー博士と論じ合った。 博士は、宗教としてはとくに大乗仏教を高く評価しておられたが、それはそれとして、キリスト教の歴史的位置は大きい。博士は、キリスト教が伸びたのは殉教の精神を貫いたうえに、「大衆の心を、とらえたからだ」と言っておられた。 大衆の心を、がっちりと、つかんだからこそ、いかなる権力にも、いかなる時代の変化にも負けない基盤を築くことができた、というのである。さすがの慧眼である。 大衆が大事なのである。有名人、権力者、財産家、学者、そのほか、いわゆる″偉い人″が大事なのではない。全部、大衆の幸福こそが目的である。ほかは手段である。 この根本を間違って、大衆を見くだし、大衆を手段にする人間は、″偉い人間″どころか、悪人である。民衆の幸福のじゃまとなる。 日本も、ここが転倒している。また転倒した頭で、学会を利用しようという人間もいる。この転倒を正さなければ、民衆の勝利はない。 (つづく) Tweet