投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 2月29日(月)13時16分29秒

yさん

>公式手続きをもってしても、先生は未だ改正に反対とジョーカーさんは思っているのでしょうか?<

そもそも公式手続きだから正しい、正しくないという話ではありません。どんな悪法も表面上は公式手続きにより成立し、かのナチスドイツも「民意」により樹立された政権です。それは置いておいて、事の本質は、先生が賛成・反対かということではありません。ある意味、それはどうでもいい話です。教学部レポートと遠藤文書で言わんとしていることは、教義変更を強行的に進める姿勢に対して、「こんなことを先生が了承しているとはとても思えない」という疑念であり、その確認のためのものです。拙速に教義変更に着手することは、会員に困惑と動揺を与え、最悪信心を壊してしまいかねない事項だからです。現場レベルの雑な打ち出しとは訳が違うレベルの問題です。

先生の胸中は仰る通り、計ることはできません。ただ、今起きている事実を見るならば、曖昧な教義変更なので、疑問をあげればいくらでもでる状況であり、教義変更自体を謗法だという人もいます。御本尊という信仰の根幹に関わることに着手するということは、とてつもない覚悟が必要です。安易な変更は、会員を悩ませ、苦しめる結果を生むからです。納得できる人は別にそれでいいのです。問題は納得できない、モヤモヤするという会員が厳然といる事実なのです。自分の地域にはいないかもしれませんが、全国・全世界は広いです。市や県を跨げば、国土世間も衆生世間も異なり、多種多様な人がいます。自分は納得できたからいいというのは無慈悲ですし、視野が狭すぎるのです。

私の見立てでは、先生は消極的な賛成なのだと思います。あくまでも「消極的」がポイントです。教学部レポートによれば、「慌ててことを進めないように」「過去が間違っているとならないように」「学会が損をしないように」「学会員が苦しんだりしないように」等、これが先生の想いであり、至極まっとうな感覚でしょう。1年延期をしたからいいという短絡的な話でもなく、問題は今、「モヤモヤしている会員が厳然と存在している事実」なのです。9割の学会員が納得すればいいということではなく、残りの1割のモヤモヤしている会員を大事にするのが人間主義なのです。それが出来ていないのが現状ではありませんか。

yさんは、多くの会員に尽くし、人材も育ててこられたようですので、きっと私の言わんとしていることを理解してくださると思います。公式手続きだから問題ないというのは組織論としては正しいことだが、それは人間主義とは言いません。54年でも先生が会長を辞任することは、組織論では正しい(混乱を収める)ことだからこそ、わからなくなってしまったのです。本当に第一に守るべきものをはき違えた結果です。組織は人間を活かしも殺しもします。組織主義に陥ったからこそ、師である先生を亡き者にしたのが54年であり、二度と繰り返してはならないのです。

ちなみに、私がどこの誰だろうとどうでもいいことです。ネットの掲示板では、立場や役職、年齢、性別等、一切関係がありません。皆が、一学会員、一投稿者・閲覧者であり、差別もしがらみもありません。だからこそ忌憚のない意見交換ができるのです。今まで培ってきたものを文字によって表現する。そこにすべてが現れるのです。