投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 2月 2日(火)08時58分27秒   通報 編集済

あまりにも 悔しき この日を

忘れまじ

夕闇せまりて

一人 歩むを

ご存知の通り
昭和54年4月24日に池田先生が詠まれたお歌である。

このお歌に込められた万感の想いは
勇退などと生易しい話しでないはずだ。

会長を追われたから悔しいという
そんな単純な話でないことも容易に理解できよう。

学会を分断し破壊する魔軍の策謀
師匠を守ることが学会を守る。
こんな当たり前のことが出来ない位に
複雑な事情があった。
その策謀が見破れなかった。

宗門、学会内の反逆者だけではない。
国家権力が学会破壊を仕組んできていた。

竹中労さんのルポに明確に書いてある。

民衆に根を張る創価学会・公明党を
権力は恐れ
懐柔しようとしたのだ。

時の権力が裏には居たのだ。
ヤマトモはそうした勢力を利用し、また利用された。

何故、公明党は自民党に擦り寄り変質したのか。

政治権力側の意図から分析すれば
54年問題の背景にあるものが見えてくる。
今、起きている公明党の変質の理由はそこにあるのだ。

権力者は池田先生を攻撃し学会を取り込もうとした。
政治側の角度から見れば
54年問題とは師弟を分断することで、学会の力を骨抜きにする策謀だった。
民衆勢力は池田先生と会員という師弟の絆にあることを
周知していたからだ。

当時の執行部は政治権力の黒い策謀、背景を見破れなかった。
だから学会は敗北したのだ。

そして、骨抜きにされた学会は今も権力の側に利用され続けている。いや益々利用されているのだ。
今の執行部は上手く自分達はやれていると勘違いしている。
金と権力の魔性に食い破られ
学会を権力に売り渡しているとも言えよう。

国家権力と戦え。池田先生はそう指導されてきた。

池田先生が
公明党を作り、公明党を支援してきた意味は何か。

それは、ある一面から見れば、宗教が国家権力に利用された、戦前の日本に戻ったら広宣流布は出来ないからだ。

信教の自由。基本的人権を守る為でもあったのだ。
健全な社会を
日本の未来を確かなものにする為の
戦いでもあったのだ。