投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月26日(火)08時59分32秒   通報
日顕はまず、池田先生と会員の絆を引き裂くために、先生を「総講頭罷免」にします。

しかし常日頃から同時中継を通して、先生から直接「師弟不二論」を学んでいた会員は、
ことの本質をすぐに見抜き、阿修羅の如く応戦していきました。

今でこそ学会員と法華講とに分かれた攻防戦ですが、勃発当時は、昨日まで共に戦っていた学会員同士の対論でした。

つまり、両陣営の大幹部から見れば、出家僧侶と在家信徒の日蓮教学の正統をかけた戦いでしたが、

一般会員にとっては、学会員同士の戦いであり、
池田先生と日顕のどちらが大聖人の精神を体現している「師匠」なのかを選択する闘争だったのです。

この時、本当に先生と共に、返り血を浴びながら学会組織と会員を守ったのは、

やはり大幹部ではなく、無名の青年と婦人です。

大幹部はこの時も保身に走り、責任が自分に降りかからないように、戦いの邪魔ばかりしていた記憶があります。
現在、その無名の青年たちは五十代の壮年世代になっています。

ともあれ、日蓮正宗との攻防戦を余儀なくされた一九九〇年代、
直面する様々な問題の本質を通しながら、先生は「宗教の本来あるべき姿」を徹底して会員に打ち込んでいきました。

その哲学の最たるものは

「悪を見過ごさず、勇気をもって『悪』とは徹底して戦え!」

ということに尽きます。

観心本尊抄には

「当に知るべし、此の四菩薩折伏を現ずる時は
“賢王”と成つて“愚王”を誡責し“摂受”を行ずる時は“僧”と成つて正法を弘持す」(二五四頁)

とあります。

大局観に立って仏法史観を考えれば、かつての釈尊の教団が“上座部(出家)”と“大衆部(在家)”に分裂したように、

日蓮正宗(上座部)は、創価学会(大衆部)に嫉妬し、あらゆる弾圧を加えた挙句、
創価学会(全会員)を「破門」にするという暴挙に出ました。

しかも破門しただけでなく、信仰の根本である「御本尊」さえも信徒支配の道具と考え、学会への御本尊の下付を停止したのです。

以来、創価学会と日蓮正宗はそれぞれ独自の道を歩み、その後、

創価学会は大発展を成し遂げ、一方の宗門は滅亡の一途をたどっています。