投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月22日(金)10時41分34秒   通報
御書には「必ず先に弘まれる法を知って後の法を弘むべし」(四三九頁)とあります。

仏教二千数百年にわたる仏法流布の歴史を究めていた大聖人にとって、
自身滅後のことを考えて手を打っていないはずはありません。

おそらく大聖人は「末法一万年の衆生まで成仏せしむる」(七二〇頁)ために、
自らが執筆した著作を残すことに主眼をおいていたと思われます。

釈尊滅後、弟子たちが数百年にもわたって師匠の言葉を残すというのでは、
途中で誤りや解釈の違いが出てくるかもしれません。

それよりも直接、自身の立てた法門や広宣流布の原理を書き残すほうが、
後世の弟子たちは迷わず、正しい軌道に入っていける。

事実、現在残っている大聖人の遺文だけでも膨大な量になります。
しかもその約半分が在家信者に送った手紙です。

この一事を見ても、大聖人は出家在家の差別なく法門を説いていたことがわかります。

在家信者の中心的人物の一人であった“富木常忍”などは、
大聖人から数多くの重書をいただいている一人で、

御書十大部である「観心本尊抄・法華取要抄・四信五品抄」と三遍もあり、
大聖人は法門書の護役として富木常忍はうってつけの人だと思っていたのです。

「貴辺に申し付けし一切経の要文・智論の要文五帖、一処に取り集め被るべく候、その外論釈の要文、散在あるべからず」(九五五頁)

とあることから、富木常忍は御書の保管管理に強い使命感をもっていたことがうかがえます。