2016年1月22日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月22日(金)10時40分54秒 通報 日蓮大聖人は鎌倉幕府の最高権力者に「立正安国論」を上呈したことを契機に伊豆流罪という法難に遭います。 この伊豆流罪中に大聖人は、重要な御書を次々と著し“教・機・時・国・教法流布の先後”という 「五義」を示して、この“五義”を知る人が「法華経の行者」であると定義し “五義”を知って仏法を弘める人が「真の仏法指導者」であると同時に 「三類の強敵」の正体を明かしていく人であると提示しました。 伊豆流罪という出来事は、権力者が結託して、 その裏でうごめく勢力をはじめて表に引きずり出したと見ることもできます。 その上で大聖人は、伊豆流罪という迫害を受けている日蓮自身こそ、 身をもって三類の強敵を明らかにした“日本第一の法華経の行者”であると弟子たちに宣言し、 佐渡期における開目抄、観心本尊抄と直接、結びついていくのです。 経典を縦横に引きながら、諸宗の誤りを明快に論破していった大聖人の行動は、 権力の庇護のもとで、ぬくぬくと特権階級化していた宗教界を震え上がらせたといえます。 釈尊と同じく、大聖人も出家在家、老若男女問わず、すべての民衆に法門を説いています。 一宗一派の繁栄のためだけに、権力にすりよる宗教界の現状を見て、その権威権力をもっとも嫌ったのが大聖人であったし、 その権威権力と真っ向から戦って宗教革命に立ち上がったのも日蓮大聖人だったのです。 Tweet