2016年1月16日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月16日(土)08時56分50秒 通報 しかし、釈尊が自らの限界を自覚できるということは、その限界を超えるものを知ってはじめて可能になります。 自らの限界を自覚していること自体が“釈迦仏法の有限性”を示し、 自らを超える究極の「偉大な法」があることを指し示しているのです。 上記の御文にもあるように、大聖人は第一(権実)第二(本迹)の法門より、 今一重立ち入って第三(種脱)の相対を独自に立てられ、これを「日蓮の法門」としました。 その文証が上記、開目抄の御文であり、 観心本尊抄では 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種なり。彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」(二四九頁)、 御義口伝では 「此の品(寿量品)は在世の脱益なり。題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益、滅後は下種なり。 よって下種を以て末法の詮と為す云云」 となります。 開目抄の「ただ天台大師のみがこれを内心に悟っていた(通解)」(一八九頁)とは、 天台大師は第三の法門である“種脱相対”を内心では知っていたけれども、時と機がなく付嘱もないゆえに、 自行として南無妙法蓮華経は唱えはしても、化他としては妙法の名字をかえて「止観」と名づけ 「一念三千の法」の理論を説いただけに留まったという意味です。 大聖人は“第三の法門”が末法に弘通する大白法であるとの大確信を表明して 「種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」(二三二頁)と断言しました。 Tweet