投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月15日(金)09時15分28秒   通報
富木常忍に宛てた手紙のなかで、大聖人は

「心得ておきなさい。法華経と爾前経と相対して判別するのに
“当分と跨節(一重立ち入る)”の立てわけ方に三つの仕方がある。

日蓮の法門は第三の法門である。
世間においては、あらあら夢のように第一、第二については述べているけれども、第三の法門については述べていない。
第三の法門は天台・妙楽・伝教もあらあらこれを説き示しているけれども、いまだに説ききっていない。

結局、末法の今に譲り与えたのである」(九八一頁)と述べています。

日寛は六巻抄で上記御文を引用し、

第一の法門は権実相対で「但法華経」。
第二の法門は本迹相対で「本門寿量品」。
第三の法門は種脱相対で「文底秘沈」、と立て分けて解説し

「是れは種脱相対にして第三の法門なり。此れ即ち宗祖出世の本懐なり。ゆえに日蓮が法門と云うなり。
今一念三千の法門は但文底秘沈と云う意ここにあり。学者深く思え云々」(三重秘伝抄)と述べました。

釈尊は法華経を説くなかで自分の限界をいたるところで明言しています。

それは釈尊の仏法では救済できない“末法”のことを考慮して、
その時のために地涌の菩薩に「根源の法」を託した儀式を見ても明らかです。

実際、釈尊も寿量品のなかで
「我れは本(も)と菩薩の道を行じて」(本因妙)、「我成仏してより已来」(本果妙)とは表明していますが、
釈尊が“いずれの法”を根本として菩薩行を成し、仏になったのかは明らかにしませんでした。

これらは釈尊の教えである法華経も、それ自体が仏法の究極ではなく、
最高の教えに至る一歩手前で踏みとどまった経典であることを物語っています。
・・・つづく