投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月14日(木)09時16分21秒   通報
一度整理します。

迹門では、一切衆生の生命に仏と同じ生命が具わっていること(理の一念三千)が明かされ、
誰もが成仏する論理が展開されているが、まだ事実としての成仏の姿は明らかにされていません。
本門に至って、はじめて久遠の成道(釈尊の発迹顕本)という釈尊の体験を通して成仏の実体が明かされました。

本迹相対を人間の生き方でいえば、“迹”とは影であり“本”とは本体です。

現実世界のすべての現象は、縁によってあらわれた影にすぎない。
その時々に変化する現象を永遠に変わらない実在のように考え、とらわれていくのは「迹門」の生き方です。

現在の自分の姿、現在のこの人生はいつまでもこのまま続くのではなく、やがては年老いて死んでいく――。

しかし、肉体を持ち、社会的役割をもった人間としての自分は、老化と死によって変化し消えていったとしても、
根本的な「我」はさまざまな宿業を負いながら実在しつづけていくのです。

この根本的な自己をしっかり自覚し、見失わない生き方が「本門」なのです。
・・・つづく