2016年1月14日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月14日(木)09時15分36秒 通報 これに対して後半十四品(本門)では、寿量品でやっと釈尊の永遠の生命観が語られ、 釈尊の本地である「久遠実成」が“三妙合論”に約して説かれました。 三妙合論とは「本因妙・本果妙・本国土妙」の三妙が合わせて論じられているという意味です。 これがなぜ“久遠実成”なのかを簡潔に説明すると、 まず寿量品の文、 「我れは本(も)と菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は今猶お未だ尽きず」(妙法蓮華経四八二頁) が《衆生の永遠性》でこれが本因妙です。 つまり、釈尊が凡夫の時に未だ明かされていない「何物か」によって菩薩の修行をした。 この修行が“因”となって 「我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり」(同頁)が《仏の永遠性》でこれが本果妙です。 つまり、久遠(五百億塵点劫)の昔に菩薩の修行をした“結果(果徳)”として成仏した。 そして 「我れは常に此の娑婆世界に在って説法教化す」(四七九頁)が《国土の永遠性》でこれが本国土妙です。 つまり、久遠の昔に成仏して以来、常に“娑婆世界”で民衆に説法し教化している、ということです。 このように、 本門で釈尊の本地である久遠実成を仏の具体的な振る舞いのなかに “本因妙・本果妙・本国土妙”の三妙合論して明かし、この寿量品の説法があって 初めて「永遠の法」である南無妙法蓮華経を指し示すことができるのです。 Tweet